淡海宇宙誌 XXXI 三つの舟
相変わらず今年もいっぱいの荷物を抱えて、ざぶざぶと年の瀬に足を踏み入れてしまいました。無事渡りきることができるでしょうか。
この一年を振り返っても、またそのもっと以前からのことを考えてみても、自分はいつでも「三つの舟(船)」に乗り継いで来たんだなあと思います。
「渡りに舟」「乗りかかった舟」そして「大船(に乗る心持ち)」の三つです。
元来努力家というわけでなく、むしろナマケモノで、そのうえ楽天家という軽佻浮薄な人間が、それでもこれまでいくつかの難所を越えて来られたのは、そういう難所に差し掛かるたびにたまたま「渡りに舟」があったから。そうして舟がやってきたなら、それがいったいどんな舟かも点検せずに、後先無しに飛び乗った。あとはまったく暢気なもので、新しい岸に着くまで流れ任せの舟任せ。
われながら、他人任せの場当たり主義がふがいない。
そこで一応弁解を試みるなら、たとえば「渡りに舟」については、いつでも飛び乗れるように、準備する心はずっと持ち続け、旅支度だけは整えている。
やってきた舟にとにかく「エイ、ヤッ!」と飛び乗るのにも、ささやかな覚悟や一瞬の決心ぐらいは必要だろうと思います。
ひとたび岸を離れたら、少々揺れても波高くても、行き着くところ最後まで見届けてやる好奇心、ともかく舟と乗組員とを信じる心は持ち合わせているつもりです。
とはいえ、そうそういつまでも、他人の舟に頼ってばかりもいられない。誰かに助けられた分、僕もそろそろ誰かのために自分で舟を、あるいはみんなで新しい大きな船を作るべき時が来ているのかなと思います。