ソラミミ堂

ピッピのゆびさき

このエントリーをはてなブックマークに追加 2010年2月5日更新

 多賀の山あいで50年にわたって野鍛冶職人として生きてこられた松浦さんの手は、豊かな手だと思います。
 外見こそ、古木の根っこのようにふしくれだっていて、大きくて、ごつごつとしているけれど、同じその手は大変繊細な感覚を備えています。
 真っ赤に焼けた鉄をめがけてハンマーを打ち下ろす。ハンマーが、トン、と鉄と触れ合う。火花が飛び散る。鉄は延びる。ハンマーは跳ね返る。跳ね返ってくる力を逃さずに、宙で束ねてまたハンマーを打ち下ろす。
 そんな一打ごとの、一刹那の交流のうちに、鉄の具合を感じ取り、次の一打へ導いていく。
 瞬間瞬間の、鉄との応答の繰り返しによって少しずつ鉄の形が整い、一丁の鋤が出来上がる。
 トン、トン、トン、トトン。というリズムの繰り返しのうちに、目や耳や肌、からだの感覚の全てが腕へ、手へ、手に握られたハンマーの先へと集中し、松浦さんの全身が、ひとつの構えになっていく。
 そんな「火づくり」を何度もそばで見てきましたが、そのようにして、モノが生まれてくる様子は、いつ見てもスリリングで、いかにも不思議なのでした。
 「こんなしわだらけの不細工な手を」と言っていつでも謙遜されますが、あの手のしわの一本一本、指のひびひとつひとつから、鉄の声、道具の声がしみ込んでいくのだろうと思います。
 ところで、テルハは最近小さい指で家の電気や玄関のベル、ジュースの自動販売機、乗り合いバスのボタンなど、スイッチというスイッチを「ピッピ、ピッピ」と言って押したがります。
 僕たちの身の周りには、ピッピッピッと、一押しで何でもできる、魔法みたいなスイッチが溢れています。けれど、こちらの魔法は気をつけないと、ご飯を炊くのと、ミサイルを発射するのとが、ピッと一回、同じ呪文で片付くような魔法です。世界がのっぺらぼうになる。
 でもほんとうは、それぞれ百の、違った千のモノがあったら、それらの感じはやっぱりちゃんと百とおり、千とおりある。
 その百千を前にして、僕らには手は2本しかない。指はあわせて10本しかないのだけれど、僕らはこの指一本で、百のモノなら百とおり、千のモノなら千とおり、平気で感じ分けられる。
 「人間の手は使った分だけ、丈夫でかしこくなっていく」。
 ピッピッピッ、もいいけれど、かわいい手には、もって生まれた魔法にもみがきをかけてもらいたいなと思います。

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