ものわかれのはじまり
ある朝、出かけようとして、玄関で靴を履こうとしていると、うしろからテルハがタタタとやってきて、「あい!」と言って、ちいさな手提げ袋を、僕に渡してくれました。
その手提げ袋には、妻がこしらえてくれた、お弁当が入っているのです。うっかりわすれて行くところだった。
何かを誰かに渡したり、誰かから何かを受け取ることが、いま、テルハには楽しいらしい。
テルハがいると、わすれものするのも、こうして、楽しい。
そこではじめたのが、ハンカチや鍵束を使っての、テルハとの、朝の「わすれものごっこ」です。
そこにわすれ(たように置い)てあるハンカチを僕がゆびさして「ハンカチを、持ってきてください」と言うと、テルハはじつに得意気な顔をして、そのハンカチをつかみ、僕のところへ持ってくる。そして、これがまた、じつにうれしそうな顔をして「あい!」と差し出す。僕はそのハンカチを、うやうやしくおしいただきながら「これはどうもありがとうございます」と言って、ふかぶかとお辞儀をする、という遊び。
そうやって、くる朝ごとの娘の育ちを僕なりに見届けようと、そんな気持ちがあるのです。
ゆびささなくても鍵は鍵だとわかるのらしい。一足のうち、片方なければ「片方がない」とちゃんと気付いて探します。「くっく」は二つで一足なのだと、これもわかっているらしい。
「くつべら」はまだ、ことばだけではわからないので、そのものをゆびさしながら「くつべらを、とってください」と言ってやったら持ってくる。そのくつべらで僕が何をしているか、じっと観察しているので、これもすぐ「このものは、マメのおしりをたたく用途のものではなくて、あのように使うのだな」と知るでしょう。
めきめきと、ものがわかっていくテルハ。
このようにして、テルハのなかで、ハンカチは、とりもなおさずハンカチに、鍵はほかでもなく鍵に、またくつべらはまさしくくつべらになっていきます。
テルハの周りのものたちが、ひとつずつ、ものの世界へ、そのものの本来の座へ帰りつつある。
それぞれの、もののなまえも使いみちも自由で渾然一体だった、魔法のような世界から、このようにして、ものとわかれて、テルハはますます人間に、テルハになっていくのでしょうか。