ソラミミ堂

ものわかれのはじまり

このエントリーをはてなブックマークに追加 2009年12月27日更新

 ある朝、出かけようとして、玄関で靴を履こうとしていると、うしろからテルハがタタタとやってきて、「あい!」と言って、ちいさな手提げ袋を、僕に渡してくれました。
 その手提げ袋には、妻がこしらえてくれた、お弁当が入っているのです。うっかりわすれて行くところだった。
 何かを誰かに渡したり、誰かから何かを受け取ることが、いま、テルハには楽しいらしい。
 テルハがいると、わすれものするのも、こうして、楽しい。
 そこではじめたのが、ハンカチや鍵束を使っての、テルハとの、朝の「わすれものごっこ」です。
 そこにわすれ(たように置い)てあるハンカチを僕がゆびさして「ハンカチを、持ってきてください」と言うと、テルハはじつに得意気な顔をして、そのハンカチをつかみ、僕のところへ持ってくる。そして、これがまた、じつにうれしそうな顔をして「あい!」と差し出す。僕はそのハンカチを、うやうやしくおしいただきながら「これはどうもありがとうございます」と言って、ふかぶかとお辞儀をする、という遊び。
 そうやって、くる朝ごとの娘の育ちを僕なりに見届けようと、そんな気持ちがあるのです。
 ゆびささなくても鍵は鍵だとわかるのらしい。一足のうち、片方なければ「片方がない」とちゃんと気付いて探します。「くっく」は二つで一足なのだと、これもわかっているらしい。
 「くつべら」はまだ、ことばだけではわからないので、そのものをゆびさしながら「くつべらを、とってください」と言ってやったら持ってくる。そのくつべらで僕が何をしているか、じっと観察しているので、これもすぐ「このものは、マメのおしりをたたく用途のものではなくて、あのように使うのだな」と知るでしょう。
 めきめきと、ものがわかっていくテルハ。
 このようにして、テルハのなかで、ハンカチは、とりもなおさずハンカチに、鍵はほかでもなく鍵に、またくつべらはまさしくくつべらになっていきます。
 テルハの周りのものたちが、ひとつずつ、ものの世界へ、そのものの本来の座へ帰りつつある。
 それぞれの、もののなまえも使いみちも自由で渾然一体だった、魔法のような世界から、このようにして、ものとわかれて、テルハはますます人間に、テルハになっていくのでしょうか。

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