ソラミミ堂

邂逅するソラミミ堂33 できるにしびれる

このエントリーをはてなブックマークに追加 2018年3月15日更新

イラスト 上田三佳

 「できる」とみずから名乗り出るには「自分への信頼」、すなわち「自信」が必要である。
 では「できない」と打ち明けるのに必要なのは何かといえば、「他者への信頼」なのだと思う。この「他者」は「社会」や「世間」と置き換えて良い。
 他者や社会への信頼というのを、うまくつづめて言えれば良いが、「自信」に対して「他信」や「社信」と言ってもちょっと落ち着かない。むしろさしあたり「安心」と言ってみたほうがしっくりくるような気もする。
 仕事柄、いろいろな試験や選考の場に接し関わる機会が多い。
 ふつうには、試験というのは「できない」の方を切って落とし、「できる」の部分を拾って評価するわけである。至極当然なことで、だから当方もこの時期になると学生たちに試験やレポートを課しては、しばしば彼ら彼女らを憂き目にあわせている。
 それにしても、人は一生のうちに、大小合わせて何回ぐらい、そんなふうに「できる」を験され、あるいはみずから験しているのだろう。
 もちろん「できる」はうれしいし、「できない」を「できる」に変える」努力と工夫なしには人類・社会の今はない。かくいう私もわが業界も「なせば成る」「やればできる」の一味である。
 それでも、と、ふと思うのである。そのように数かぎりなく「できる」を験し験されているうちに、われわれの感覚、われわれの社会は「できる」に痺れてしまっているのではないか。
 例えば就職活動は数々の試験の先で学生たちを待ち受ける「できる」を競う戦いである。
 「自己分析」して「強みを見つけて」「自信を持って」「前へ進め!」が繰り返される「戦場」で、真面目な子らほど「できる」に痺れていくようだ。それでいて、せっかくかち得た職場では、当然のこと、「できない」自分にぶちのめされて、「できない」を打ち明けられずにため込んだ末、心も体も折れてしまうということがある。意外に多く。
 「できる」の麻酔や「自信」の暗示をかける一方で、「できない」を打ち明けられる、信じて弱みをひらけるような「安心」を供給できる「大人」であり、社会であるかどうかが問われているのだと思う。

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