ソラミミ堂

邂逅するソラミミ堂27 明日はあふみ

このエントリーをはてなブックマークに追加 2017年3月22日更新

イラスト 上田三佳

 よばれた気がしてさがしてみたら、いた、いた、ここに、道ばたに。
 来たよ、ことしも。はるだよ。
 と、かわいいこどもの学芸会がはじまるように、つくしが出できて、幕があく。
 いちねんまえ。その幕あけを待たずして、友が病で亡くなった。
 あの日もつくしによび止められて、そうだ、こいつを摘んで届けたら、どんな花よりも、きっとよろこぶ。あすにもいこう。
 そのあすに、友のいのちは届かなかった。
 それでことしから、つくしは僕には、忘れがたい友との記念、友への手向けの花になった(つくしの…つくしは、あれは花なのだろうか)。
 このごろは、出会うにしても、わかれても、以前にくらべて、気もちは、少しずつ淡々としたものになってきたようだ。仮にわかれなら、それは生きわかれでも、死別でも。
 悲しくないとか、つらくないとかいうのではない。先立った人、残された人双方の無念を想えば痛ましい。
 ただ、悲しみは悲しみながら、一方で、わかれは出会いのはじまりで、生も死も、となり同士の地続きなのだ、といよいよ具体に知れてきた。わかれの先に、今会うのとは別の仕方で出会う明日があることが、このごろ確かに知れてきたのだ。

今日わかれ明日はあふみと思へども夜や更けぬらむ袖の露けき(紀利貞)

(今日きみと別れるといっても、京と近江の距離ならば、その気になれば明日にも会う身、会える身だ。そう思うのに、どうしてだろう、夜が更けたからかな、なんだか湿っぽくなるね││僕のこの袖がなにやら濡れているのは涙のせいではないからね)

 いちねんまえに惜しみつつわかれた友が、今年、僕には、つくしになって会いに来た。
 今日わかれても、明日は互いに、わかれた時とはそれぞれちがう「会う身」になってまた会える。僕もいつかはあなたとわかれ、今日とは別な「あふみ」になってまた会おう。

 

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