ソラミミ堂

邂逅するソラミミ堂15 空の底をおよぐ

このエントリーをはてなブックマークに追加 2015年11月4日更新

イラスト 上田三佳

 金木犀がかおる道は、歩くというよりも、魚の類になって空の底をおよいでいる。
 家ごとの庭の趣向や木の分布にもよろうが、またわずかな地形のちがいによっても香気に濃淡が生じる。四方から落ち合って流れ込み、澱のように沈殿するかおりの淵のような場所がところどころにある。うっかりはまると香気にまかれて窒息しそうになる。
 僕らがむかし、魚をやめて、はじめて陸にあがったときに大気はどんな味だったか。いま人間になって母の海から生まれ出てくるときに追体験しているはずが覚えていない。
 僕らのさいごはひとくちぶんだけこの世の息を引き取っていく。どういう味がするだろう…。他愛ない連想も、

 手をのべてあなたとあなたに触 れたきに息が足りないこの世 の息が

 というかの歌人の切ない絶唱にたどり着いたところできょうの散歩は琵琶湖のほとりに立っていた。
 この湖も息をしている。
 湖や海や川に入っておよぐ時、深みに行くと、水面に近い肩から胸のあたりはあたたかいのに、足のほうではとてもつめたいことがある。急に足が攣って溺れてしまう。あたたかい水とつめたい水、温度差があると混じり合わない。琵琶湖の深い底はつめたい。浅いおもてはあたたかい。混じり合わない。
 やがてくる冬がきちんと寒ければ、寒さは琵琶湖のおもてをしっかり冷やす。冷えると水は沈みはじめる。こうして湖中に上下の対流が生じる。琵琶湖は底からかきまぜられる。
 このとき琵琶湖のおもての水は、空の底から酸素をいっぱいおみやげにして、琵琶湖の底に降りていく。このようにして湖の深いところにじゅうぶん酸素が行き届くと、微生物が育ち、生きものがにぎわう。これが「琵琶湖の深呼吸」。
 ところが近年冬が平均あたたかになり、温暖化だよ暑い暑いと言っていたら、琵琶湖は息が浅くなった。息が詰まれば微生物など死滅して、湖底は沈黙してしまう。琵琶湖の息の根が止まる。
 きびしい冬が、琵琶湖の息を吹き返らせる。

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