淡海宇宙誌 XXXXX いのちとくらしの待合所
フナズシの漬け込み作業が済んだ、という便りがあちこちの友人から届きます。梅雨が明け、夏になりました。
文化は「めぐみのめぐりあわせ」です。フナズシも、フナという「自然のめぐみ」、コメという「人のいとなみのめぐみ」、清らかな水やその他のめぐみが一つ桶の中でめぐりあい、そこに「時間のめぐみ」が作用して、あんなにおいしいものができるのでしょう。
それにしても、そんな素敵なめぐりあわせを思いつく「人のめぐみ」の素晴らしさ。
こうやっておいしいフナズシができあがる様子は、僕らの愛する滋賀という場所の姿にやっぱりたいへん似ています。
滋賀という大きな大きな桶のなかで、自然と自然、自然と人や人と人、いろんなめぐみがめぐりあい、時のめぐみが魔法のように作用してこの上もなく美しいけしきや歴史やくらしがじっくり出来上がる。
おいしいものや美しいもの・ことが生まれるとき、またその場所では、それらを生み出す出会い自体がすでに美しい。「美」とは「出会い」の別名なのだと思います。
そうすると、滋賀ってなんて素敵な出会いに満ちた場所だろう。
目の前の湖。さざ波たつ水面。空を映して刻々と色を変えてゆくこの景色は、光と風と水の出会いの美しさ。
里山・棚田の景観や町並みの美は自然のめぐみと人のくらしの出会いの証し。
でもなによりも、老若男女、よそ者地元、人と人との日々清新な出会いが僕には美しい。
滋賀はほんとに、出会いという美の宝庫です。淡海宇宙は千年万年時空を超えて、いのちとくらしの待合所です。ここで出会って、みんな明日へ向かいます。