ソラミミ堂

淡海宇宙誌 XXXXIX 西からのぼるお日さまが

このエントリーをはてなブックマークに追加 2014年7月9日更新

イラスト 上田三佳

 「〇時〇〇分発の電車に乗って下さい。駅に着いたら改札を出て琵琶湖側の出口においで下さい。ちょうど出たあたりで車を停めてお待ちしています」。
 という説明だけで道順をスッと思い描いて無事僕と出会える人は淡海の人ですね。
 他国から来たはじめての人は「えっ、琵琶湖側って?」とちょっと戸惑う。
「あ、ごめんなさい。改札を出て左手、えーっと、西口です」。
 とあわてて言い直す。
 思わず知らずこんなことにも僕らは琵琶湖をあてにしている。
 ところが同じ淡海の国の人同士でも、例えば湖の東の僕には「西口」は「琵琶湖」の側になるわけですが、湖の西の人にとっては「琵琶湖側」と言ったら「東口」で、「西口」は「山側」になるわけですからなかなかおもしろややこしい。
 かなたの湖越しに朝日が昇り、こなたの山に夕日が沈む、という光景に慣れ親しんだ湖西の人が引っ越して来て湖東に住んだ。「するとこっちの山から朝日が昇り、湖越しに向こうに夕日が沈むでしょう。対岸へ渡ったのだから当たり前だとアタマではわかっていても、しばらくはなんだかちょっと落ち着かなくて」と言っていました。
 どうやら僕らのカラダというのは、僕らのアタマがするのとは別の仕方で「ここはどこ、わたしはだれ」と確かめている。
 「ここはどこ、わたしはだれ」。
 僕ら自身の内側に自問自答を試みるのが僕らのアタマなのだとしたら、僕らのカラダはおんなじことを僕らを取り巻く景色に向けて問いかける。息するように無意識にそして絶え間なく。
 お日様や、月、星、山、川、そして琵琶湖は答えてくれる。何千年も何万年も飽きることなく、毎日毎秒新たな答えを用意して。

 

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