ソラミミ堂

  • 2011年12月7日

    淡海宇宙誌 XVIII 土を掘り当てる

    イラスト: 東近江南部地区まちづくり協議会  「ここ掘れワンワン!」  花咲か爺さんの昔から、金銀財宝と言えば土を掘ったらざっくざっく出てくるものと決まっています。  けれど、沖野ヶ原では土そのものがかけがえのない宝ものなのでありました。  そこは戦後の開墾地。戦争中は軍の飛行場で、それ以前、もともとは茫漠と... 続きを読む

  • 2011年11月7日

    淡海宇宙誌 XVII 母呼ぶまなこ

    イラスト:  上田三佳  週末に、家族で登った伊吹山のてっぺんで、思わず苦笑してしまいました。  ああ、またしても叫んでいるな「おかあさーん!」って。  少し前に、琵琶湖の「風景図鑑」をつくるお手伝いしたことがありました。  人々から寄せられたたくさんの写真をつかって、琵琶湖の、水辺の、風景の図鑑を... 続きを読む

  • 2011年10月5日

    淡海宇宙誌 XVI テーブル下の魚

     きょうも、腕白な密航者たちが、家の田舟を繰り出して、縦に横に張り巡らされた堀の上で遊んでいます。  水の国の、舟の民の子らなのですから、舟を操る棹のさばきもお手のものです。  ゆっくりと舟を進めながら、へりにかじりついて、堀の底をのぞきこんでいます。  目を凝らすと、体はぜんぶ砂にうずめて、水底に隠れて... 続きを読む

  • 2011年9月8日

    淡海宇宙誌 XV 水の民の舟行

     かつて「舟行(ふねいき)」は、水郷の夏の大きな楽しみでした。  たとえば八月一日、伊崎の岬のお不動様の竿とび見物と、長命寺での千日参り。  その日はまだ明けきらぬ頃から家族親戚七、八人が連れ立って、田舟に乗り込み出かけます。  鍋やかん、コンロを積み込み、食材も積んで行きます。舳先にはニワトリが吊るされている。... 続きを読む

  • 2011年8月9日

    淡海宇宙誌 XIV 子守の舟

     「坊やー」と呼ぶ声がするから、「はーい。おーい」と返事をする。また「坊やー」と呼ぶから「はーい」と応える。決まった間をおき、その繰り返し。  もしも返事がなかったら、お母さんは顔いろを変えて、駆けつけなければなりません。  大事なわが子が、水の底に沈んでしまっているかもしれないのだから。事実そうして水に命を取ら... 続きを読む

  • 2011年7月8日

    淡海宇宙誌 XIII 居合わせから仕合せへ

     人間は、その人が自分のために何をしてくれるか、そのことの度合いによって、相手に対する尊敬の念や愛情を加減するような生き物ではありません。  自分の家族を思い浮かべれば明らかなように、僕たちは、相手がただそこに居てくれるということを尊いと思い、嬉しいと思い、喜びとして生きている。妻や子や父や母や、友や隣人が、ただそ... 続きを読む

  • 2011年6月8日

    淡海宇宙誌 XII 力持ちの一

     毎年毎年この緑、これは一体なにごとだろう!五月のいのちに、僕はいつでも圧倒されます。  神話によると、多賀の地にいますイザナギの神さまは、火傷がもとで死んでしまった妻イザナミの神さま恋しさに、地の底にある死者の国まで出かけるものの、妻と交わした「見るな」の約束を破り、妻神さまの変わり果てた姿を見てしまう。  恐... 続きを読む

  • 2011年5月4日

    淡海宇宙誌 XI なーんにもなくて500年

     「ここにはなーんにもないんです」。  と応じるのが土地の者の作法である、とあらかじめ申しあわせでもしてあるかのようです。  近江の村から村へ、その土地ごとの暮らしや文化のありようをしらべて歩く先々で、その地の古老や顔役から、開口いちばん、僕らに言い渡されるのがこの「なーんにもない」宣言です。  行く先々で、僕ら... 続きを読む

  • 2011年4月7日

    淡海宇宙誌 X 風に揺れずに咲いていた

     伊吹の陶芸家市川さんは、若き日の求道の旅のさなかに、忘れられない体験をしました。  その日、放浪の身の青年は、日本の北の果て、広大な大地と森、そのただなかに敷かれた一本の道を、たったひとり、自転車で走っていました。  ひたすらに漕ぎすすみ、やがて疲れて立ち止まると、ふるさとを遠く離れた広い広い大地に続く長い長い... 続きを読む

  • 2011年2月28日

    淡海宇宙誌 IX 鼻からダイヤ

     漁師の手にも季節がある。かたくなったり、やわらかくなったりする。夏の手と冬の手と、どちらがやわらかいか。  冬のほうがやわらかい。冬はゴム手袋で網を繰るので。夏には素手だから、かたくなる。  行って冬の手を確かめようと思っているうちに春間近です。  冬の琵琶湖の旬は氷魚。「ひうを」とも「ひを」とも呼んで、氷の... 続きを読む

  • 2011年1月4日

    淡海宇宙誌 VIII こたつに飼われる

     わが家の猫は名前をマメといいます。三年前、日もとっぷりくれてからひとり帰宅し、暗闇のなかで難儀して鍵をまわして玄関をガラリと開けた拍子に、夜の黒さよりひときわ黒いかたまりがサッと足もとをすり抜けたのにおどろいて、あわててかまちをかけあがって明かりをつけたらニャアと鳴いたのが出会いでした。  三年前のマメがすっ... 続きを読む

  • 2010年12月11日

    淡海宇宙誌 VIII 生物多様性の桶

    写真は本文中の老舗の桶ではありません。重石の数も老舗の秘伝の内なので。  生物多様性が話題でした。  ただこのたびは、他のさまざまな生き物から得られる僕ら人間にとっての利益や、人間同士の間でのその分配のことで持ちきり。それでその重要性とか保全とか言っていた。  それはまあ、そういうものかと思います。他の生き物だっ... 続きを読む

  • 2010年11月9日

    淡海宇宙誌 VII「できた!」をつくる

     友人のM君は少年時代から野鳥の研究をしてきた人です。その彼が、野鳥の観察を通じて、不思議に思うことがありました。  鳥が巣をつくる。小さな枝をくちばしにくわえてきては、じつにたくみに、彼は小枝を組み上げていく。そうして、ついにその巣が出来上がる。  巣が「出来上がる」。それが不思議、とM君は思ったのだそうです。... 続きを読む

  • 2010年10月5日

    淡海宇宙誌 VI 背中で生きる

     「背中で仕事する」。それがもともとの、山の人生でした。  たとえば炭焼き。おとこなら十八貫、おんなでも十五貫の炭俵を背負って山道を歩きます。  今から六、七十年もまえ、まだ自動車は無い。木の車輪に鉄の輪を巻いた大八車を、皆は「ガチ車」と呼びましたが、それの使える道までは、何時間でも歩いていかねばなりません。 ... 続きを読む

  • 2010年9月7日

    淡海宇宙誌 V いるすべ

     「いるすべ」にとりつかれています。  「いるすべ」と聞いたら、何を思い浮かべるでしょう。どこかそのあたりにいる妖怪か何かの名前と思うでしょうか。  「居る術」と書きます。  書いてみると、あ、そうかと思います。でも、それにしても「居る術」とは何だろう。それで、散歩しながら「いるすべ、いるすべ」と唱えてみます。... 続きを読む

  • 2010年8月4日

    淡海宇宙誌 IV 淡海宇宙の からだとこころとたましいと

    「南比良ふるさと絵屏風」2008年  制作  南比良ふるさと絵屏風づくりの会  淡海宇宙の基本構造は湖から里へ、里から山へと広がる同心円です。淡海の文化の「からだ」と「こころ」と「たましい」は、湖、里、山のそれぞれの場で育てられたと思います。  例えば湖岸のある村で、琵琶湖の水を使ったあともその排水... 続きを読む

  • 2010年7月5日

    淡海宇宙誌 III みずうみの皮をめくる

     梅雨の琵琶湖は、そこに「ある」というより、そこに「いる」と言った方がただしいと僕は思います。  梅雨のころ、琵琶湖のほとりを歩くと、かたわらに、いきものの気配がする。  それは魚とか鳥とかではなくて、息をひそめて、みずうみが、「いる」。  吹いてくる風、その匂いも、みずうみという大きないきものの吐く息か、そ... 続きを読む