ソラミミ堂

  • 2010年2月5日

    ピッピのゆびさき

     多賀の山あいで50年にわたって野鍛冶職人として生きてこられた松浦さんの手は、豊かな手だと思います。  外見こそ、古木の根っこのようにふしくれだっていて、大きくて、ごつごつとしているけれど、同じその手は大変繊細な感覚を備えています。  真っ赤に焼けた鉄をめがけてハンマーを打ち下ろす。ハンマーが、トン、と鉄と触れ... 続きを読む

  • 2010年1月20日

    指の先まで生きている

     「紙はこすれば破れてしまう、鉄でもさびる、だが人間の手は、使えば使うほど、丈夫に、そしてかしこくなる」ということを、僕はずいぶん小さい頃に、僕の亡くなった祖父からおそわりました。  祖父のおしえの、それこそお手本のような豊かな手の実物を、僕は身近に知っています。  それは芹川の上流、多賀の山あいで、50年のあ... 続きを読む

  • 2009年12月27日

    ものわかれのはじまり

     ある朝、出かけようとして、玄関で靴を履こうとしていると、うしろからテルハがタタタとやってきて、「あい!」と言って、ちいさな手提げ袋を、僕に渡してくれました。  その手提げ袋には、妻がこしらえてくれた、お弁当が入っているのです。うっかりわすれて行くところだった。  何かを誰かに渡したり、誰かから何かを受け取るこ... 続きを読む

  • 2009年12月13日

    生命合理主義の旗 —後編—

     いのちというものを真ん中に置いて考える。そういうことが必要なときだと思います。  経済合理から生命合理へ。世の中の価値観は、そういうふうに動いていくと思います。  お金がめあて、いのちは手段という転倒からの回復。  それはたとえば、働くことの意味の回復ということでもあります。  働くということには「仕事」と「... 続きを読む

  • 2009年11月22日

    生命合理主義の旗 —前編—

     世の中は、おおきな変わり目にさしかかっていると思います。  どんな変わり目か。  僕は、経済合理至上の世の中から、生命合理の世の中、いのちのことわりにかなう世の中への変わり目だと思います。  極論すれば現在は、様々なものごとの価値がお金というただ一本の定規でのみ計測される世の中で、あらゆるものにぺたぺたと値札... 続きを読む

  • 2009年11月8日

    僕の三枚おろし ―後編―

     人間を三枚おろしにすると「からだ(物質性)・こころ(関係性)・たましい(時間性)」に切り分けられると思います。  からだは巨大に世界規模化しているが、それに見合ったこちらの感謝が世界の端まで届いているか、というのが僕の反省。  こころはほんとに百面相。きのうの自分、あしたの自分、家での自分、会社の自分、学校で... 続きを読む

  • 2009年10月25日

    僕の三枚おろし ―前編―

     秋の夜長。今夜は人間を三枚におろしてみましょうか。  と言っても、季節はずれの怪談をはじめるわけではありません。三つの観点から自分という人間を反省してみようという話。  人間を三枚におろしたら「からだ・こころ・たましい」に切り分けられると僕は思います。  「からだ」というのは肉体としての僕、僕の物質性。「ここ... 続きを読む

  • 2009年10月11日

    存在というまもり

     伊吹山のふところに抱かれた水源の里で、仲間たちが「たからの地図」づくりを始めました。  そこに記された「たから」とは、僕たちの社会にとって、もっとも大切なもの。それどころか、それがなければ、僕たちの社会自体が成り立ち得ないもの。  おわかりですね。地図に記される「たから」とは、「人」です。 仲間たちはいま人と... 続きを読む

  • 2009年9月27日

    愛に書き足す

     人と共にある、ということは、こころの中にある辞書が、日々書き換えられていくことなのだ、とテルハがおしえてくれました。  テルハによって、僕のこころの辞書の大改訂が進んでいます。  僕たちの間にテルハを授かってから今日までの日々を通じて、これまで僕が知ってきた、たくさんのことばの意味が書き換えられてきています。... 続きを読む

  • 2009年9月13日

    鮎たちの沸点

     この夏の沸点は、どのあたりだったのでしょう。  僕はまたうかうかと、通り過ぎてしまった。  お構いなしに、秋は進んでいます。  琵琶湖に注ぐ河川では、産卵のため、小鮎の遡上が続いています。  湖北の漁師松岡さんから聞いた話が、僕には忘れられません。  今から四十年ほども前、湖産の鮎の稚魚が欲しいという人が... 続きを読む

  • 2009年8月23日

    あしたのごみ

     夕暮れどきに、小さいテルハと浜辺を歩けば、強かった昨日の波風の思い出に、大小の木の枝や、ちぎれた水草がいちめんに広がっています。  それに混じって、お菓子の袋、野球のボール、プラスチックのボトルなどが、点々と転がっています。  木の枝、こんにちは。  水草、こんにちは。  お菓子の袋、こんにちは…。  ひ... 続きを読む

  • 2009年8月9日

    金魚からもらった宿題

     我が家では裏庭の片すみで金魚を飼っています。  餌は、ミジンコの干したのを毎朝ひとつまみ。そのひとつまみをやり忘れる日もあり、ともすれば、庭の片すみに彼が居ること自体を忘れているようなときもあるくらいで、飼っている、世話していると言うのもおこがましいのですが、そのようにして、この金魚とは、かれこれ六年ほどの付... 続きを読む