ソラミミ堂

  • 2009年10月25日

    僕の三枚おろし ―前編―

     秋の夜長。今夜は人間を三枚におろしてみましょうか。  と言っても、季節はずれの怪談をはじめるわけではありません。三つの観点から自分という人間を反省してみようという話。  人間を三枚におろしたら「からだ・こころ・たましい」に切り分けられると僕は思います。  「からだ」というのは肉体としての僕、僕の物質性。「ここ... 続きを読む

  • 2009年10月11日

    存在というまもり

     伊吹山のふところに抱かれた水源の里で、仲間たちが「たからの地図」づくりを始めました。  そこに記された「たから」とは、僕たちの社会にとって、もっとも大切なもの。それどころか、それがなければ、僕たちの社会自体が成り立ち得ないもの。  おわかりですね。地図に記される「たから」とは、「人」です。 仲間たちはいま人と... 続きを読む

  • 2009年9月27日

    愛に書き足す

     人と共にある、ということは、こころの中にある辞書が、日々書き換えられていくことなのだ、とテルハがおしえてくれました。  テルハによって、僕のこころの辞書の大改訂が進んでいます。  僕たちの間にテルハを授かってから今日までの日々を通じて、これまで僕が知ってきた、たくさんのことばの意味が書き換えられてきています。... 続きを読む

  • 2009年9月13日

    鮎たちの沸点

     この夏の沸点は、どのあたりだったのでしょう。  僕はまたうかうかと、通り過ぎてしまった。  お構いなしに、秋は進んでいます。  琵琶湖に注ぐ河川では、産卵のため、小鮎の遡上が続いています。  湖北の漁師松岡さんから聞いた話が、僕には忘れられません。  今から四十年ほども前、湖産の鮎の稚魚が欲しいという人が... 続きを読む

  • 2009年8月23日

    あしたのごみ

     夕暮れどきに、小さいテルハと浜辺を歩けば、強かった昨日の波風の思い出に、大小の木の枝や、ちぎれた水草がいちめんに広がっています。  それに混じって、お菓子の袋、野球のボール、プラスチックのボトルなどが、点々と転がっています。  木の枝、こんにちは。  水草、こんにちは。  お菓子の袋、こんにちは…。  ひ... 続きを読む

  • 2009年8月9日

    金魚からもらった宿題

     我が家では裏庭の片すみで金魚を飼っています。  餌は、ミジンコの干したのを毎朝ひとつまみ。そのひとつまみをやり忘れる日もあり、ともすれば、庭の片すみに彼が居ること自体を忘れているようなときもあるくらいで、飼っている、世話していると言うのもおこがましいのですが、そのようにして、この金魚とは、かれこれ六年ほどの付... 続きを読む