ソラミミ堂

  • 2015年7月8日

    邂逅するソラミミ堂11 守りを守りする

    イラスト 上田三佳  守りをする、というのはなんでもないことばのようだけれども、なかなかすごいことばである、とつねづね思っている。  いなかのお年寄りならば、子どもの、家の、田んぼの、畑の、お墓の、お寺の、神社の、道の、水路の、川の、草木の、森の、お山の守りをする、など何にでもこの守りということばをつかう。 ... 続きを読む

  • 2015年6月12日

    邂逅するソラミミ堂10 過去を育てる

    イラスト 上田三佳  かの高名な評論家は歴史について「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう」と言った。そのうえで「上手に思い出す事は非常に難しい」とも*。  その難しいことを、しかも比較的若い青壮年世代がやってのけた。成果を一書にまとめ上げたと言って恵贈くださった**。ありがたく... 続きを読む

  • 2015年5月6日

    邂逅するソラミミ堂9 わがやのゆめ

    作品 上田三佳  今年の春祭りは、雨で神輿の渡御が取り止めになった。班長のはしくれとして、はりきって準備したので残念だ。  ちょうど一年前に、同じ町内の、そこからここへ引っ越した。というより「九」から「六」へ、湖に向かって櫛の歯状にほそくならんだ通りを二すじ、またいだ。  物理的にはわずかな距離だが、家を一軒... 続きを読む

  • 2015年4月8日

    邂逅するソラミミ堂8 村の斜交場

    イラスト 上田三佳  我が住む集落でもとなりの集落でも「若衆宿」あるいは「宿親」という習俗・制度があった。  一定の年齢に達した若者、ある集落では「元服」した男子。十五歳。そのおないどしが固まって、十名前後につき一組の同年集団をつくる。これを「若衆」とか「連中」と呼ぶ。  十五歳男子の親たちは、しめしあわせて... 続きを読む

  • 2015年3月4日

    邂逅するソラミミ堂7 goodさんで買った

     goodさんの家がどこにあるのか知っている人の数は、彼の仲間のうちに、今はどれくらいにあるのだろう。  周りの人に聞いても、こんなにたびたび出会っていても、知らない、と言っていた。送ると言って車に乗せても、ここらで降りる、といってしっぽをつかませないのだ、と言っていた。  それを知らないでいるということを、いつ... 続きを読む

  • 2015年2月6日

    邂逅するソラミミ堂6 きりきりのぼん

    イラスト 上田三佳  世話人さんが、墓地に案内してくれたそうだ。岩手県大槌町吉里吉里地区の、集落と海を見下ろすその墓地で、  「先生、ここにある墓のうち三分の一には、骨が埋まっておりません」  と世話人さんは言ったそうだ。  そして続けて、  「先生、ここは漁師の村です。ということは、何年かに一遍は、沖へ出た... 続きを読む

  • 2015年1月7日

    邂逅するソラミミ堂5 棒師匠

    イラスト 上田三佳  失われてしまったもの、そのためのワザ。行われなくなったこと、そのための知恵。  けれど本当に大事なことならば、きっといまでも、ぼくらのまわりにわれらのなかに、姿を変え、形を変えてひきつがれ、息づいているのだとおもう。  「てんびん棒」を担いでものを運ぶということは、昔はだれもがしていたが... 続きを読む

  • 2014年12月9日

    邂逅するソラミミ堂4 無責任の責任

    イラスト 上田三佳  秋らしい日和にも恵まれて、娘の七五三を無事済ますことができた。この度もお多賀さんに詣でた。  まちの写真館で着付けをしてもらって、いろんなポーズで記念写真を撮ってもらってからお参りした。  こんな機会に改めて眺めると、化粧を施してもらったせいでもあるけれど、わが子の面差しはいたいけな幼児... 続きを読む

  • 2014年11月7日

    邂逅するソラミミ堂3 ヤカンに極まる

    イラスト 上田三佳  「一期一会」という言葉を世にひろめ、ひろめただけでなく息を吹き込んでこの語を完成させたのは井伊直弼公である、ということは意外に知られていないのだろうか。遠来の客に教えると、へえ、と感心して下さる。  直弼公の著した『茶湯一会集』の中の、この語の出てくる「独座観念」という一節が素晴らしいの... 続きを読む

  • 2014年10月10日

    邂逅するソラミミ堂2 手を詣でる

    イラスト 上田三佳  今や正吉さんや悟さんの手を触らせてもらうのが目的であるかのようになってきた。沖島通いもこれで十年近くなる。  その手に対して抱く僕のおもいは崇敬というよりもささやかな信仰と言ったほうが良いかもしれない。なんとなればその手の前に頭を垂れて二三べん撫でてもらいたいくらいだ。  だから沖島には... 続きを読む

  • 2014年9月1日

    邂逅するソラミミ堂1 金次郎の出征と帰還

    イラスト 上田三佳  「まちかど遺産まいばら選考委員会」を名乗る一味に混じって、身近に隠れた町のたからもの、人の営みの記念碑の発掘・研究の片棒を担いでいます。  自称「選考委員」はいい歳をした大人たち。皆相当の経歴の持ち主ですが、今後の「選考」に支障が出てはいけませんから皆の氏名は伏せておきます。  好奇心と... 続きを読む

  • 2014年8月6日

    淡海宇宙誌 XXXXX いのちとくらしの待合所

    イラスト 上田三佳  フナズシの漬け込み作業が済んだ、という便りがあちこちの友人から届きます。梅雨が明け、夏になりました。  文化は「めぐみのめぐりあわせ」です。フナズシも、フナという「自然のめぐみ」、コメという「人のいとなみのめぐみ」、清らかな水やその他のめぐみが一つ桶の中でめぐりあい、そこに「時間のめぐみ... 続きを読む

  • 2014年7月9日

    淡海宇宙誌 XXXXIX 西からのぼるお日さまが

    イラスト 上田三佳  「〇時〇〇分発の電車に乗って下さい。駅に着いたら改札を出て琵琶湖側の出口においで下さい。ちょうど出たあたりで車を停めてお待ちしています」。  という説明だけで道順をスッと思い描いて無事僕と出会える人は淡海の人ですね。  他国から来たはじめての人は「えっ、琵琶湖側って?」とちょっと戸惑う。... 続きを読む

  • 2014年6月4日

    淡海宇宙誌 XXXXVIII 万事キュウス

    イラスト 上田三佳  教え子とその仲間が鈴鹿山麓の集落でお茶作りに挑戦しています。天下に名の知れた銘茶の産地で、一人は春からそこに住みついて本格的に挑んでいます。  二年半前、当時の区長さんがふと「これまでにいろんな先生や学生がここを調べに来てくれました。でもみんないつの間にかいなくなる」とつぶやかれたのが始ま... 続きを読む

  • 2014年5月7日

    淡海宇宙誌 XXXXVII いればてがとどく

    イラスト 上田三佳  引っ越しのてんやわんやで、桜を今年は、見たような見なかったような、という間に散りました。  毎年そんなことを言っているなあ。  つまり僕には桜は、いずこで、だれと、いかに見たかということよりも、どういうわけで、いかに見られなかったか、ということによって毎年印象深い、そういう花になってしま... 続きを読む

  • 2014年4月8日

    淡海宇宙誌 XXXXVI 日課で勝負

    イラスト 上田三佳  三月半ばにさしかかってもまだ何回も雪を降らせて、それで娘からは「忘れん坊さん!」という評価を下されてしまいました。あんなに何度も、いったいどんな忘れ物を、冬は、この町に取りに戻って来てたのだろう。  季節の戸口でそんな行ったり来たりはあったけれど、冬のつぎにはやっぱり春になりました。  ... 続きを読む

  • 2014年3月7日

    淡海宇宙誌 XXXXV 木の目魚の目花の鼻

    イラスト 上田三佳  冬の濠ばた、また川沿いの並木道など歩くとき、すっかり裸のケヤキの枝にぶら下がるヤドリギの茂りかたにちょっと不思議を感じます。左右に居並ぶあのケヤキでもあのケヤキでもないこの一本のケヤキの枝にわさわさと、あおあおとまるぼんぼんと群がっている。ちょっとケヤキが気の毒なほど。  同じケヤキという... 続きを読む