始まりは母の本棚から……

佐和山城郭研究会代表 田附清子さん

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2010年1月26日更新

田附清子さん。DADA編集室にて。携帯電話には石田三成の旗印「大一大万大吉」のシールが貼ってある。

 石田三成に恋をした女性に会った。恋したというより愛したと言った方が正しいかもしれない。そして、その恋も愛も現在進行形である。毎年元旦の朝、田附清子(たづけすがこ)さんは家族と共に佐和山に登る。佐和山城郭研究会代表の肩書きを持ち、昨年9月『三成伝説』(オンライン三成会 編)という本を出版された。オンライン三成会というのは、ネット上の石田三成ファンの集いで、出版に関わったのは有志8人、田附さんもメンバーのひとりだ。
 佐和山の麓で育ち、母から三成のことや歴史物語を聞きながら育ち、石田三成に興味持った。大人になっても、田附さんの三成への懐いは褪せることはなかった。
「何故かと聞かれても、何故でしょう……。今、戦国ブームで三成さんも注目されていますが、このブームが無かったとしても、同じことをしていると思います」。資料を読み、縁の地を巡り、三成への懐いを更に濃く巡らせている。
 僕は「恋しているからですね」と言いたかった(言ったかもしれない)。恋し方も愛し方も世の中様々だが、田附さんの場合、誰よりも深く知りたい、知っていたい。自分だけが知っている石田三成が事実に基づいて田附さんの裡でカタチを持つ。

 例えば、慶長3年(1598)に豊臣秀吉から石田三成に、小早川秀秋の後、筑前・筑後の領主とする命が下った時、三成は家臣の大音新介に手紙を書いている。大音新介は木之本大音出身、太閤検地において、三成より島津領の総奉行を命ぜられた人物である。手紙には、「僕ほど有能な家臣を筑前のような遠くにやってしまうなんて、太閤様も何を考えてるかわからないよ。僕がそばにいてやらなかったら、ダメになってしまうことわかりきってるのにさ。(後略)」みたいなことが書かれているという。この後、三成は筑前行きを断り、佐和山城主として関ヶ原合戦の時期を迎えるのだが、この期に及び、佐和山19万石という家康に対抗するには少なすぎる禄を嘆いている。愚痴る三成、後悔に臍を噛む三成…。義に厚く、清廉潔白だけではない素の姿が浮かんでくる。そんな三成が、田附さんにはかわいく見える。
 「想像というより妄想に近いかもしれません」と田附さんは言うが、想像も妄想も新発見を導く。ハインリッヒ・シュリーマンの妄想が伝説の都市トロイアの発掘に至ったように、妄想を否定することは誰にもできない。「時間は繋がっていますが、残された信頼できる資料は切れ切れです。資料と資料の間を想像で埋めていくことになるのです」。実際、田附さんは「ここに絶対にある」という妄想から?佐和山城趾で導かれるように石垣の石を新発見している。大切なのは、自分の抱いた妄想を信じることだ。

 では、田附さんの妄想の始まりはいつからだったのか……。
「アップライトのピアノが置いてあった小さな部屋に母の本棚があったのですが、並んでいる本の背表紙を眺めているのが好きでした。多分、妄想壁はその頃からかもしれません」。妄想は誰にでもできるわけではない。物語を聞き、その世界に身を置くことができる才能である。そして、易々と現実を跳び越える能力こそ、恋によって与えられるものだと思うのだ。

 さて、田附さんにお会いしたのは編集部の事務所だった。猫が爪を研ぐケバケバのタイルカーペットが目立つ小さな部屋に本棚がある。アッという間の2時間だった。田附さんが帰られた後、僕は本棚の前に立ち、果たして、僕らの本棚に妄想への入口はあるのかと考えた。背表紙を眺め、不思議と目に止まる一冊を開く……。そこから翼をひろげ翔ぶことができる人がいるのだと知った。

『三成伝説』  現代に残る石田三成の足跡

オンライン三成会 編 / サンライズ出版 / A5判・176ページ・並製 / 価格1,900円+税
ISBN 978-4-88325-400-2 C0021 この本をAmazon.co.jpで購入

石田三成の生きた証は今も各地に残っている。そのかすかな証を求めて、日本の北から南、そして海を超えた異国までを訪ね歩き、三成の「真実」を明らかにしようとした一冊。

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

小太郎

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