佐和山城天守の行方

城郭研究家 長谷川博美さん

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2009年10月11日更新

「澤山城図」滋賀県犬上郡多賀町多賀大社蔵「多賀大社社頭絵図」(写真提供 長浜市長浜城歴史博物館)

佐和山城遺跡出土 焼印木片(写真・説明 長谷川博美)
彦根城天守木材に墨書された「チキリ」符牒と同種と思われる「チキリ」紋様の焼印のある木片が、佐和山城遺跡の土中より発掘されて、発掘現場事務所のトレーの中に保存されていた。

 大河ドラマ「天地人」では、小栗旬演じる石田三成の描かれ方に注目していた。関ヶ原の合戦で、西軍だったはずの小早川秀秋の寝返りによって窮地に追い込まれた三成は、捕らえられ処刑される。ドラマでは、三成の居城、佐和山城が炎上し、三成は木陰から見つめるばかりであった。
 このシーンが記憶に残っているのは、米原にお住まいの城郭研究家、長谷川博美さんにお会いしたからだ。
 長谷川さんは賤ヶ岳のふもとで生まれ育った。織田信長の後継争いで羽柴秀吉と柴田勝家が戦ったこの山が遊び場で、中世城郭に興味をもつ原体験となった。城郭研究家として、これまで県内の主要な中世山城の縄張り図を作成し、地域の古い地名や伝承を手がかりに、米原や多賀、近江八幡などで新しく城跡を発見してきた。本当に存在した城の跡を知りたい、そんな「リアリティーの追求」こそが長谷川さんを城郭研究に駆り立てる原動力になっている。
 長谷川さんは「彦根城天守の前身は佐和山城天守である」という独自の仮説を立てている。
 ドラマのように佐和山城が炎上したとは考えにくいという話は、私も以前に本で読んだことがあった。なぜなら関ヶ原の合戦で徳川方の東軍側で功績をあげた井伊直政が、合戦後佐和山城を与えられているからだ。佐和山城の大手門は宗安寺(彦根市本町)に、裏門は高源寺(多賀町楢崎)に移されたと伝わる。そして、彦根城天守は、京極高次の居城・大津城天守から移築されたと井伊家の関連文書にはある。

長谷川博美さん(昭和33年余呉町出身)

 長谷川さんは、多賀大社が所蔵する「多賀大社社頭絵図」に描かれた「澤山城」の絵柄を検証。城跡を測量し、佐和山城の姿を独自に解明している。佐和山城、彦根城それぞれの天守の構造に迫り、両天守に共通する「チキリ」と呼ばれる木材の存在から、両城の結びつきを見出した。
「今年の夏に佐和山城遺跡の発掘品が発表されました。チキリの符牒と同種と思われる文様の焼印のある木片が見つかったんです。佐和山城天守が彦根城に移された可能性が高まったと非常に興奮しましたよ。チキリの符牒はもちろん、大津城にあってもおかしくはない。ただ、この発見はあまりにもできすぎているように思うんです」。
 長谷川さんは結論を急ぐわけではない。
「私の論はあくまで『試論』なんです。試論とは断定しないということ。断定するのは気持ちのいいことですが、それにはもっと磨いて究めていかないといけない。それが研究というものです」。
 石田三成生誕450年である。戦国ブームの最中、石田三成の評価が大きく変わってきている。佐和山城主としての三成は、領地を統治するにあたって細やかな気配りのできる人物だったという。歴史の真実を知る手がかりは、その発見を今も待ち続けている。

参考文献

  • 「戦乱の空間 第8号」戦乱の空間編集会(平成21年7月)より「近江佐和山城 天守小天守試論  長谷川博美」
  • 「民俗文化第551号」滋賀民俗学会(平成21年8月)より「彦根城天守の墨書記号と佐和山城址出土の焼印の共通性について 長谷川博美」

「賤ヶ岳合戦」城郭フォーラム

2009年10月18日(日)〜19日(月)、11月21日(土)〜22日(日)、12月19日(土)〜20日(日)
現地にて解説予定

お問い合わせ
ウッディパル余呉 TEL: 0749-86-4145

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

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