「龍潭寺」を含む記事一覧

  • 2016年12月23日

    湖東・湖北ふることふみ 27
    井伊家千年の歴史(13) まち・文化

    井伊谷龍潭寺に残る江戸期の直盛の墓  井伊直満と直義兄弟にどのような罪があったのかは分からない、ましてやそれが九歳の亀之丞まで殺さなければならないようなものであったのか? 定説として重臣の小野和泉守に冤罪を被せられたことになっているが、そんな罪を一族が重ねながらなぜ井伊家にお咎めがないのかも不思議だが、井伊家...  続きを読む

  • 2016年7月13日

    湖東・湖北ふることふみ22
    井伊家千年の歴史 8 まち・文化

    井伊谷龍潭寺の宗良親王の位牌  南北朝時代に数々起った戦いのうちで、特に重要となる一つが青野原の戦いである。延元三年(1338)1月、奥州で戦っていた北畠顕家は畿内での南朝方の不利を助けるために軍勢を都へ向けて猛進させ、関東や東海道で味方が集まり軍は拡大した。北朝に属していた今川範国は、顕家の軍勢を後ろから追...  続きを読む

  • 2010年12月10日

    レキジョのための基礎知識 4
    龍潭寺に遺る佐和山の記憶 まち・文化

    城内の屋敷にあったと伝わる板戸  戦国ブームの影響もあって、石田三成の居城であった佐和山城跡へ登る人が増えている。山を挟んで西からのルートの入口にあたるのが龍潭寺である。関ヶ原合戦の功労により佐和山城を与えられた井伊直政が、現在の静岡県浜松市にある井伊家始祖・共保(ともやす)以来の同名の菩提寺を分寺し開いた、臨...  続きを読む

  • 2009年7月12日

    レキジョのための基礎知識 3
    石田三成「像」を巡る旅 まち・文化

     戦国時代、近江を制する者は天下を制すといわれていた。特に、信長や秀吉をはじめ、多くの武将たちが手を伸ばした湖北地域だが、やっぱり石田三成の存在感が大きい。敗軍の将でありながら、後世に語り継がれるだけの何かを持った人物だったのだろう。  現在でもそのカリスマ性は強く、像が建てられている場所は思いつくだけで4箇所あり、一...  続きを読む