「石田三成」を含む記事一覧

  • 2014年3月14日

    佐和山遊園のこと まち・文化

     実は、僕は国道8号線佐和山トンネルの近くにある「佐和山遊園」が近頃随分気に入っている。最初は「なんだかなー」と思っていたが、実際に訪れてみると素晴らしいのである。  偽物といってしまえばそれまでだが、実に、自由奔放に石田三成時代の佐和山を再現しているのだ。造形物は長い歳月をかけて増殖していったのだろう。過去のも...  続きを読む

  • 2013年11月1日

    石田三成茶の井(伝)竹藪 まち・文化

     今年も「ひこねキャンドルナイト」が行われることになっている。夢京橋キャッスルロード界隈で約2万個のキャンドルに火が灯る。そのうちの300ほどが竹灯である。この竹、実は、「石田三成の茶の井(伝)」がある竹藪の竹を使っている。  佐和山の麓に愛宕山仙琳寺という寺がある。彦根藩4代藩主井伊直興(1656〜1717)の...  続きを読む

  • 2012年7月16日

    「石田三成の記憶」と「大坂の陣 供養碑」 まち・文化

     大坂の陣、冬の陣は慶長19年(1614)、夏の陣は慶長20年(1615)……。関ヶ原合戦後の二重講公儀体制が破綻し、豊臣宗家は滅んだ。二重講公儀体制とは、「基本的に豊臣・徳川の共存共栄を図る構想であり、東西分治のもと両勢力の棲み分けによる共存戦略であった」(『関ヶ原合戦と大坂の陣』笠谷和比古著・吉川弘文館)。 ...  続きを読む

  • 2011年6月18日

    彦根〜米沢支援金贈呈式 義の継承 まち・文化

    支援金贈呈式の様子  豊臣秀吉は、石田三成・直江兼続の二人の才覚・才能を愛したといわれている。三成は「わしの亡きあと天下を窺うに足る」と言わしめ、兼続を「日本の宰相がつとまる」と激賞したといわれている。  二人は仲がよく、それも素晴らしくよく、若い頃、義兄弟の盟約を結び、三成にしても兼続にしても、秀吉没後の世...  続きを読む

  • 2011年3月27日

    三成の気持ち まち・文化
    夢京橋あかり館企画展示 MITSUNARI 11

     気になるイベントがある。「三成イレブン」……よく解らない。ホームページに、主催者の次のようなメッセージがあった。  「MITSUNARI 11」の展示イベントについては、開催を自粛すべきとの意見も多数ありましたが、検討を重ねたうえ、予定通り開催することにいたしました。  三成の気持ちは、「大一大万大吉」の旗印に象...  続きを読む

  • 2010年12月10日

    レキジョのための基礎知識 4
    龍潭寺に遺る佐和山の記憶 まち・文化

    城内の屋敷にあったと伝わる板戸  戦国ブームの影響もあって、石田三成の居城であった佐和山城跡へ登る人が増えている。山を挟んで西からのルートの入口にあたるのが龍潭寺である。関ヶ原合戦の功労により佐和山城を与えられた井伊直政が、現在の静岡県浜松市にある井伊家始祖・共保(ともやす)以来の同名の菩提寺を分寺し開いた、臨...  続きを読む

  • 2010年10月27日

    11月6日、石田三成で結ばれよう まち・文化

    石田三成の茶の井の伝承が残る仙琳寺の竹藪(現在も整備継続中)。  秋が深くなっていく……。日常に忙殺されはしても、月を愛でるくらいの余裕は持っていたい。  「100万人のキャンドルナイト」というイベントがあって、合い言葉は「でんきを消して スローな夜を」。夏至と冬至の夜、8時から10時まで電気を消し、キャンド...  続きを読む

  • 2010年7月14日

    石田三成茶の井とひこねキャンドルナイト まち・文化

    仙琳寺の竹薮の中にある石垣 石田三成が水を汲んだと伝わる井戸  彦根、佐和山の麓に仙琳寺という寺がある。彦根古絵図には佐和山天守から千貫池、蛇谷、御殿跡となぞると、蔵跡があり、現在の仙琳寺の場所は愛岩(宕)山と記されている。彦根藩4代藩主井伊直興(1656〜1717)の庶子本空(幼名千代之介)を開基...  続きを読む

  • 2010年7月2日

    仙琳寺と石田三成 まち・文化

     佐和山の麓に仙琳寺というお寺がある。彦根藩4代藩主井伊直興公の庶子本空(幼名千代之介)を開基とする天台宗の古刹である。この寺の恵明権現は、首から上の病にご利益があるといわれている。目が不自由な人が快復したとか、耳が聞こえるようになったとか、逸話には事欠かない。不眠の悩みにも効き目があるそうだ。不思議なのは、仙...  続きを読む

  • 2010年2月15日

    百間橋の記憶 まち・文化

    又十屋敷に残る「百間橋」の柱  豊郷町といえば、日本各地で活躍した近江商人を数多く輩出している地として知られている。そのひとりが藤野喜兵衛喜昌(きへいよしまさ)である。幕末、12歳で単身北海道へわたった喜兵衛は呉服店に見習いとして住み込み、その後「柏屋」という屋号と「又十」の商標で独立開業する。そのかたわらで...  続きを読む

  • 2010年1月26日

    始まりは母の本棚から…… ひと
    佐和山城郭研究会代表 田附清子さん

    田附清子さん。DADA編集室にて。携帯電話には石田三成の旗印「大一大万大吉」のシールが貼ってある。  石田三成に恋をした女性に会った。恋したというより愛したと言った方が正しいかもしれない。そして、その恋も愛も現在進行形である。毎年元旦の朝、田附清子(たづけすがこ)さんは家族と共に佐和山に登る。佐和山城郭研究会代...  続きを読む

  • 2009年11月11日

    成菩提院に遺された三成の掟書 まち・文化

    成菩提院  石田三成の生誕地から比較的近い場所で生まれ育ったせいだろうか、三成は私にとって身近な歴史上の人物、だった。少年時代の三成が秀吉を気遣った三杯の茶のエピソードは、繰り返し聞く昔話のようなものだ。ただ佐和山城主としての三成については長く知らずにいた。  佐和山城主、三成がどのように民政を進めていこうと...  続きを読む

  • 2009年10月11日

    佐和山城天守の行方 ひと
    城郭研究家 長谷川博美さん

    「澤山城図」滋賀県犬上郡多賀町多賀大社蔵「多賀大社社頭絵図」(写真提供 長浜市長浜城歴史博物館) 佐和山城遺跡出土 焼印木片(写真・説明 長谷川博美) 彦根城天守木材に墨書された「チキリ」符牒と同種と思われる「チキリ」紋様の焼印のある木片が、佐和山城遺跡の土中より発掘されて、発掘現場事務所のトレーの中に...  続きを読む

  • 2009年7月12日

    レキジョのための基礎知識 3
    石田三成「像」を巡る旅 まち・文化

     戦国時代、近江を制する者は天下を制すといわれていた。特に、信長や秀吉をはじめ、多くの武将たちが手を伸ばした湖北地域だが、やっぱり石田三成の存在感が大きい。敗軍の将でありながら、後世に語り継がれるだけの何かを持った人物だったのだろう。  現在でもそのカリスマ性は強く、像が建てられている場所は思いつくだけで4箇所あり、一...  続きを読む

  • 2009年4月26日

    レキジョのための基礎知識 1
    石田町を歩こう! まち・文化
    長浜市石田町

    石田会館はかつての三成屋敷跡に建てられている。 石田会館の敷地内には三成の銅像がある。  今、10代から20代の若い女性を中心に、戦国時代が一大ブームである。  長浜市石田町を訪ねたときのことだ。石田町は関ヶ原の合戦で、西軍を率いた戦国武将・石田三成の出生地として知られている。カメラを片手に独り、路地裏...  続きを読む