「井伊家」を含む記事一覧

  • 2018年12月12日

    湖東・湖北 ふることふみ 51
    小瀬川の戦い まち・文化

    小瀬川古戦場(大竹市)  桜田門外の変以来、幕府に冷遇されながらも幕府方として戦い続けてきた彦根藩だったが、幕府方としての最後の戦いとなるのが第二次長州征伐において芸州口の先鋒を務めたことだった。  彦根藩は天狗党の上洛を阻止するために出陣していた頃、多くの藩は第一次長州征伐に加わっていた。これは禁門の変の責...  続きを読む

  • 2018年11月16日

    湖東・湖北 ふることふみ 50
    天狗党の乱 まち・文化

    天狗党の墓所(敦賀市)  禁門の変が起こっている頃、江戸の近く水戸藩では長州藩の挙兵に匹敵するくらいの混乱が起こっていた。天狗党の乱である。  水戸藩は光圀が勤皇の意志を示して以来、家臣たちは佐幕派と勤皇派に分かれ、血で血を洗う政権争いが行われていた。幕末になり諸生党(佐幕・門閥派)と天狗党(勤皇)に分裂し、...  続きを読む

  • 2018年10月8日

    湖東・湖北 ふることふみ 49
    禁門の変 まち・文化

    井伊直憲が護衛した朔平門  幕末から明治維新の政治舞台は京都であるとのイメージがある。しかし京都が政治の中心になるのは禁門の変以降であることはあまり重視されない。大河ドラマ『西郷どん』を観ていると、島津久光に冷遇され遠島になっていた西郷吉之助がいきなり薩摩藩の主要人物になっているように感じるが、実はここには大...  続きを読む

  • 2018年9月12日

    湖東湖北 ふることふみ48
    天誅組の変 まち・文化

    櫻井寺(奈良県五條市須恵1-3-26) 天誅組本陣跡の碑  桜田門外の変の2年後に幕府内の政変から彦根でも政変が起こり尊王攘夷派の岡本半介が実権を握った。これにより直弼に近かった家老は失脚し、長野主膳と宇津木六之丞は斬首される。しかし幕府は桜田門外の後に直弼生存という虚偽の届けを提出した彦根藩に10万石減封と...  続きを読む

  • 2017年12月25日

    湖東・湖北 ふることふみ 40
    井伊家千年の歴史(23) まち・文化

    直虎終焉の地・松岳院跡  『おんな城主 直虎』の放送も無事に終了した。一旦区切りとなるので今稿では放送前に大きな問題も提示されていた件について私説を書いてみたい。  井伊直虎は男性である。そんな説がまことしやかに発表されたが現在はほぼ否定されていると考えても差し支えない。一番の理由は男性説の証拠となる史料が1...  続きを読む

  • 2017年11月10日
    No Image

    湖東・湖北 ふることふみ38
    井伊家千年の歴史(21) まち・文化

     1つの家を1年のドラマにするとき、それまでは知られることもなかった人物が登場し活躍することがある。井伊直政の姉である高瀬姫もその1人ではないだろうか?  「直政に姉がいたことなんて知らなかった」と、彦根の中でもよく耳にする。また「高瀬が架空の人物ではないか?」との質問もよく受けたが、高瀬は正真正銘直政の姉である。しか...  続きを読む

  • 2017年10月3日

    湖東・湖北 ふることふみ 37
    井伊家千年の歴史(20) まち・文化

    昨年発見された南渓和尚の位牌  井伊家の話、再開。  直虎を始めとする井伊家の人々に常に寄り添って助言する人物が龍潭寺の二世住職南渓瑞聞である。  南渓和尚は直虎の大叔父(祖父の弟)で、以前は井伊直平実子の次男(もしくは三男)と言われていたが、過去帳を見ると両親の戒名が直平以外の人物が記されていた。現在では井...  続きを読む

  • 2017年6月9日

    湖東・湖北 ふることふみ33
    井伊家千年の歴史(19) まち・文化

    小野但馬終焉の地・手前の巨石が但馬の供養石と言われている  戦国時代の井伊家を語るうえで必ず登場する一族が小野家である。しかも井伊家を窮地に落とす獅子身中の虫として扱われている。  伝承では小野家は小野篁の息子俊生が遠江に住んだことが始まりとされているが、最近では「英比」という家であったとされていて井伊一族だ...  続きを読む

  • 2017年5月2日

    湖東・湖北 ふることふみ32
    井伊家千年の歴史(18) まち・文化

     静岡県御前崎市の新野地区。JR菊川駅からバスに揺られること30分で茶畑が広がる静かな町に到着する。ここが井伊直虎の母祐椿尼とその兄である新野左馬助の育った場所である。  新野家は『吾妻鏡』には既に記録された遠江武士ではあるが、左馬助は今川氏の血縁であることからどこかの段階で新野家が地元の武士から今川氏一族に替っ...  続きを読む

  • 2017年4月6日

    湖東・湖北ふることふみ31
    井伊家千年の歴史(17) まち・文化

    井伊直盛の陣跡(桶狭間小学校)  井伊家の歴史は今川氏との関係が大きく影響することが見えてくる。そんな今川氏の没落するきっかけとなるのが桶狭間の戦いであり、この合戦は井伊家にとっても大きな分岐点となった。今稿では、桶狭間の戦いで井伊直盛がどの様に動いたのかを見て行くことにする。  永禄3年(1560)5月の時...  続きを読む

  • 2017年3月3日

    湖東・湖北 ふることふみ30
    井伊家千年の歴史(16) まち・文化

    妙雲寺(浜松市北区引佐町) 昨年妙雲寺で発見された直虎の位牌  許嫁が行方不明だったあしかけ11年という時間はあまりにも長かった。少年だった亀之丞は20歳の青年となり直虎の前に現れた、井伊直盛は娘が還俗して亀之丞と結婚し夫婦で次代の井伊家を継いでくれるように願ったが、直虎は拒否した。その理由は分かっ...  続きを読む

  • 2017年2月17日

    湖東・湖北ふることふみ29
    井伊家千年の歴史(15) まち・文化

    井伊直親の墓(中央)と直虎の墓(右から2番目)  前稿まで、井伊家が誕生してから井伊直政が徳川家康に仕えるまでの565年の歴史を紹介した。今稿からは井伊直虎とその周辺の人物に焦点を当てて紹介したい、その過程で前稿までと重複する話が多用されることをお断りする。  まずは井伊直虎。  井伊谷龍潭寺が作成した年表...  続きを読む

  • 2016年12月23日

    湖東・湖北ふることふみ 27
    井伊家千年の歴史(13) まち・文化

    井伊谷龍潭寺に残る江戸期の直盛の墓  井伊直満と直義兄弟にどのような罪があったのかは分からない、ましてやそれが九歳の亀之丞まで殺さなければならないようなものであったのか? 定説として重臣の小野和泉守に冤罪を被せられたことになっているが、そんな罪を一族が重ねながらなぜ井伊家にお咎めがないのかも不思議だが、井伊家...  続きを読む

  • 2016年11月4日

    湖東・湖北ふることふみ26
    井伊家千年の歴史(12) まち・文化

    浜松市北区・井殿ノ塚(井伊直満・直義の墓)  三岳城を追われ伊平で逼塞していた井伊直平は今川家の内紛によって再び井伊谷に戻ることとなる。  今川氏親が没した後、息子氏輝が母の寿桂尼の後見で政治を行っていた。これが女戦国大名と呼ばれる人物であり今川家には女性でも政治を行う前例があったために井伊直虎も女地頭として...  続きを読む

  • 2016年10月3日

    湖東・湖北ふることふみ25
    井伊家千年の歴史(11) まち・文化

    菊川市・塩買坂古戦場  歴史の流れが変わるきっかけは、人の手によるものと大きな天災によるものの二つに分けることができる。戦国時代の井伊家は両方のきっけによって歴史の表舞台に立たされることになった。  人の手によるきっかけは将軍家の後継者争いに端を発した応仁の乱。少し前から遠江守護は今川氏から斯波氏に代わってい...  続きを読む