「井伊家」を含む記事一覧

  • 2020年12月7日

    湖東・湖北 ふることふみ 75
    明智光秀に仕えた彦根藩士(中編) まち・文化

    神戸城祉(かんべじょうし・三重県鈴鹿市)  徳川家康の祖父・松平清康は名将だったと伝わっている。混乱が絶えなかった西三河を統一し、今川氏輝(義元の兄)や織田信秀(信長の父)と対等に渡り合える人物だった。しかし二十五歳の若さで家臣の阿部正豊に暗殺される(守山崩れ)。余談ではあるが、清康を刺した刀は村正の一派であ...  続きを読む

  • 2020年11月13日

    湖東・湖北 ふることふみ 74
    明智光秀に仕えた彦根藩士(前編) まち・文化

    楠城址(くすじょうし:三重県四日市市)  大河ドラマ『麒麟がくる』を観ていると、今までのドラマではあまり描かれなかった人物や出来事が濃く描かれる傾向が強いため、個人的に登場を期待している人物がいる。それは木俣守勝である。  守勝は『おんな城主直虎』の最終回で、徳川家康から井伊直政に預けられた武将の一人として登...  続きを読む

  • 2020年10月14日

    湖東・湖北 ふることふみ 73
    北条仲時の墓 まち・文化

    六はら山山頂付近の北条仲時の墓  昨年辺りから南北朝時代が注目を浴びているらしい。それに合せるように日曜日の朝には約30年前の大河ドラマ『太平記』が再放送されている。このドラマは、それまで日本史の三大悪人の一人(諸説あり)とされていた足利尊氏の再評価が行われたことでも特筆すべき内容だったが、鎌倉幕府が滅びるま...  続きを読む

  • 2020年2月21日

    湖東・湖北 ふることふみ 65
    幻の三代藩主・井伊直滋 まち・文化

    井伊直滋の墓・百済寺  私の個人的な習慣として、大晦日の夜に彦根城時報鐘で除夜の鐘を撞きに行く。この音色は玄宮園の虫の音と共に『日本の音風景百選』にも選ばれている。鐘を撞いたあと城下に戻ってからまだ誰かが鳴らしている美しい響きは、自然と1年の行いを浄化させてもらえる気持にもなる。  さて、彦根城築城のとき鐘は...  続きを読む

  • 2019年1月8日

    湖東・湖北 ふることふみ 52
    明治維新の彦根藩 まち・文化

    桑名城開城時に焼かれた辰巳櫓址  第二次長州征伐は彦根藩にとって大敗を喫する戦だったが幕府にとっても将軍徳川家茂の死で停戦せざるを得なくなる汚点となった。歴史は大きく動き1年後には大政奉還が行われるが、その間に彦根藩も大きく動いた。  まずは井伊直弼存命中には、直弼との意見の違いから江戸藩邸で軟禁状態に置かれ...  続きを読む

  • 2018年12月12日

    湖東・湖北 ふることふみ 51
    小瀬川の戦い まち・文化

    小瀬川古戦場(大竹市)  桜田門外の変以来、幕府に冷遇されながらも幕府方として戦い続けてきた彦根藩だったが、幕府方としての最後の戦いとなるのが第二次長州征伐において芸州口の先鋒を務めたことだった。  彦根藩は天狗党の上洛を阻止するために出陣していた頃、多くの藩は第一次長州征伐に加わっていた。これは禁門の変の責...  続きを読む

  • 2018年11月16日

    湖東・湖北 ふることふみ 50
    天狗党の乱 まち・文化

    天狗党の墓所(敦賀市)  禁門の変が起こっている頃、江戸の近く水戸藩では長州藩の挙兵に匹敵するくらいの混乱が起こっていた。天狗党の乱である。  水戸藩は光圀が勤皇の意志を示して以来、家臣たちは佐幕派と勤皇派に分かれ、血で血を洗う政権争いが行われていた。幕末になり諸生党(佐幕・門閥派)と天狗党(勤皇)に分裂し、...  続きを読む

  • 2018年10月8日

    湖東・湖北 ふることふみ 49
    禁門の変 まち・文化

    井伊直憲が護衛した朔平門  幕末から明治維新の政治舞台は京都であるとのイメージがある。しかし京都が政治の中心になるのは禁門の変以降であることはあまり重視されない。大河ドラマ『西郷どん』を観ていると、島津久光に冷遇され遠島になっていた西郷吉之助がいきなり薩摩藩の主要人物になっているように感じるが、実はここには大...  続きを読む

  • 2018年9月12日

    湖東湖北 ふることふみ48
    天誅組の変 まち・文化

    櫻井寺(奈良県五條市須恵1-3-26) 天誅組本陣跡の碑  桜田門外の変の2年後に幕府内の政変から彦根でも政変が起こり尊王攘夷派の岡本半介が実権を握った。これにより直弼に近かった家老は失脚し、長野主膳と宇津木六之丞は斬首される。しかし幕府は桜田門外の後に直弼生存という虚偽の届けを提出した彦根藩に10万石減封と...  続きを読む

  • 2017年12月25日

    湖東・湖北 ふることふみ 40
    井伊家千年の歴史(23) まち・文化

    直虎終焉の地・松岳院跡  『おんな城主 直虎』の放送も無事に終了した。一旦区切りとなるので今稿では放送前に大きな問題も提示されていた件について私説を書いてみたい。  井伊直虎は男性である。そんな説がまことしやかに発表されたが現在はほぼ否定されていると考えても差し支えない。一番の理由は男性説の証拠となる史料が1...  続きを読む

  • 2017年11月10日
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    湖東・湖北 ふることふみ38
    井伊家千年の歴史(21) まち・文化

     1つの家を1年のドラマにするとき、それまでは知られることもなかった人物が登場し活躍することがある。井伊直政の姉である高瀬姫もその1人ではないだろうか?  「直政に姉がいたことなんて知らなかった」と、彦根の中でもよく耳にする。また「高瀬が架空の人物ではないか?」との質問もよく受けたが、高瀬は正真正銘直政の姉である。しか...  続きを読む

  • 2017年10月3日

    湖東・湖北 ふることふみ 37
    井伊家千年の歴史(20) まち・文化

    昨年発見された南渓和尚の位牌  井伊家の話、再開。  直虎を始めとする井伊家の人々に常に寄り添って助言する人物が龍潭寺の二世住職南渓瑞聞である。  南渓和尚は直虎の大叔父(祖父の弟)で、以前は井伊直平実子の次男(もしくは三男)と言われていたが、過去帳を見ると両親の戒名が直平以外の人物が記されていた。現在では井...  続きを読む

  • 2017年6月9日

    湖東・湖北 ふることふみ33
    井伊家千年の歴史(19) まち・文化

    小野但馬終焉の地・手前の巨石が但馬の供養石と言われている  戦国時代の井伊家を語るうえで必ず登場する一族が小野家である。しかも井伊家を窮地に落とす獅子身中の虫として扱われている。  伝承では小野家は小野篁の息子俊生が遠江に住んだことが始まりとされているが、最近では「英比」という家であったとされていて井伊一族だ...  続きを読む

  • 2017年5月2日

    湖東・湖北 ふることふみ32
    井伊家千年の歴史(18) まち・文化

     静岡県御前崎市の新野地区。JR菊川駅からバスに揺られること30分で茶畑が広がる静かな町に到着する。ここが井伊直虎の母祐椿尼とその兄である新野左馬助の育った場所である。  新野家は『吾妻鏡』には既に記録された遠江武士ではあるが、左馬助は今川氏の血縁であることからどこかの段階で新野家が地元の武士から今川氏一族に替っ...  続きを読む

  • 2017年4月6日

    湖東・湖北ふることふみ31
    井伊家千年の歴史(17) まち・文化

    井伊直盛の陣跡(桶狭間小学校)  井伊家の歴史は今川氏との関係が大きく影響することが見えてくる。そんな今川氏の没落するきっかけとなるのが桶狭間の戦いであり、この合戦は井伊家にとっても大きな分岐点となった。今稿では、桶狭間の戦いで井伊直盛がどの様に動いたのかを見て行くことにする。  永禄3年(1560)5月の時...  続きを読む