大きな「ん」と、小さな「ん」が彦根神社の境内の拝殿に向かって左側にある。狛犬でいうと、口を閉じた「吽(うん)」の側である。
「彦根」というブランドを冠にする神社の「ん」が、今まで話題にならないことも不思議だが、この「ん」、平成最大の謎だと思っている。謎は2つ。ひとつは「ん」は何を意味する記号なのか? ふたつ目は大きな「ん」と小さな「ん」が書かれているのは何故か?
文字からのアプローチを試みた。思い浮かんだのは寺社と関係の深い生と死、始まりと終わりを意味する「阿吽」の「吽」である。つまり「ん」は獅子である。ならば、小さな「ん」も、こどもの獅子であると考えることができる。石碑を見ていると「吽」の形相の獅子の足元で鞠と遊ぶ小さな獅子のイメージが浮かんでくる。しかし、この考えはすぐに間違った仮説だと気づいた。「吽」ならば「うん」と表記されるはずなのである。
アルファベットの「ABC」は「初歩・基礎」という意味に用いられることがある。それは「いろは」も同じだ。有名なカクテルに「XYZ(エクス・ワイ・ジィ、エックス・ワイ・ゼット)」がある。このカクテル「XYZ」の名の由来は、アルファベットの終わり、最後のカクテル、「これ以上のものはない、最高のカクテル」という意味がある。また、新約聖書の「ヨハネの黙示録」において、主の言葉「私はアルファであり、オメガである」とあり、「最初であり、最後である」と記している。
ならば、彦根神社の神は、「これ以上の神はいない、最高の神である」という意味を込めた尊敬と畏怖の「ん」なのではないだろうか。しかし、妄想の域を出ず未解決、謎のままだ。
彦根城のオオトックリイチゴは、彦根城以外では棲息しない固有種だ。自生の「ナワシロイチゴ」と中国・朝鮮半島原産の「トックリイチゴ」が自然交配して生まれた雑種であると考えられている。
日本の植物学の父である牧野富太郎が明治27年(1894)に発見。牧野は、伊吹山の植物採集の途中に彦根城に立ち寄り、表御殿跡で発見。この時は茎葉(けいよう)だけだったため、明治34年(1901)と35年(1902)にイチョウの精子発見者として世界的に知られる平瀬作五郎に標本作成を依頼。平瀬はオオトックリイチゴの果実と花のついた標本を作成し牧野に送った。この標本により新種と判断し、明治35年に『植物学雑誌』第16巻に発表した。学名には牧野と平瀬の名が記されている(Rubus Hiraseanus Makino)。
日本の植物学の大スターのダブルネームである。もうこれ以上はない宝物のような植物である。更に調べてみると、実に面白く、様々な妄想が浮かんでくる。
ナワシロイチゴは日本の山野に自生するごく普通の植物だ。トックリイチゴは中国大陸及び朝鮮半島が原産。どのようにして彦根城で自然交配し根付いたのか?
トックリイチゴは庭園の植栽にしばしば用いられる植物である。きっと、何回目かの朝鮮通信使か判らないが、観賞にとお殿様に献上したのかもしれない。表御殿跡での発見も納得できるのだが、妄想の域を出ず未解決、謎のままだ。
平成のDADA Journal article 未解決ベスト3のもうひとつは次回、乞うご期待!?
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私がDADA Journalの記事の中で最も印象に残ったのは、「零戦」である。記事は戦時中に零式艦上戦闘機を製造していた「近江航空」と、西洋帆布を製造していた「近江帆布」という二つの会社を取り上げている。さらに近江帆布の方は、「近江帆布は西洋帆布を製造する会社で、明治30年に設立され、大正11年彦根の近江紡績(株)を合併、近江帆布(株)彦根工場となった。近江鉄道の近江帆布専用線があったのだ。」とある。戦時中の会社の名称が踏切の名称として現在も残っているのだ。
この記事が印象に残ったのは、趣味の旅行で似たような発見をしたことを思い出したからである。山口県に「新山口」という駅がある。新幹線も停車する山口県のターミナル駅だ。実はこの駅、2003年までは「小郡」という駅であった。新幹線のぞみの停車に合わせ、旧地名の駅名が変更されたのである。しかし、私が数年前旅行で訪れた際、この駅で購入した駅弁の包装紙を見ると、「小郡駅弁当」と書いてあった。地元の弁当屋さんは昔の地名を駅名が変わってしまっても大切に会社名に残していたのである。
実際現地を訪れてみた。
確かに「近江航空」の文字がある。また、踏切付近の線路沿いに不自然に広い草むらがある。かつて工場の専用線が敷かれていたことがすぐにわかるような形で空き地がのびている。戦争時代の名残や名前が残っていることを確認できた。やはり、時間がたってもどこかに昔とかわらないものや、時間の流れを感じさせるものが残っていることは素晴らしいと感じた。
また、わたしがおもしろいと感じたものは近江航空踏切の隣にある、芹川の土手の踏切表示である。ここも同じくJRと近江鉄道共同の踏切なのだが、警報機の隣にある列車の侵入方向を示す表示に、一瞬戸惑ってしまった。JRと近江鉄道の表示があるのだが、近江鉄道が、「近鉄」と省略されているのだ。長く地元に住んでいる滋賀県民なら普通のことだと思うかもしれない。しかし、下宿で今年から滋賀県に来た私にとっては「近鉄」と書かれるとつい、近江鉄道ではなく、「近畿日本鉄道」の略称を思い浮かべる。この省略の仕方が全く同一で表記されているのがおもしろいと感じた理由である。
近畿日本鉄道は大阪や奈良を中心に京都、三重、愛知にも路線を伸ばし、近年では阪神電鉄と乗り入れを開始し私の出身である兵庫県、神戸三宮までやってくる、営業路線距離、規模ともに日本最大の私鉄である。今回の発見をきっかけに近江鉄道についても興味を持ち調べてみると、米原を出て、彦根を通った後、多賀大社、八日市、近江八幡、貴生川まで路線がある鉄道だと知った。更に驚いたのは、経営しているのが、関東の大手私鉄の西武グループだったことである。「西武ライオンズ」のロゴを電車で見かけて、こんな遠くのまちの電車にどうしてこのロゴマークがあるのかと思っていた疑問もはっきり解決した。それまで近畿日本鉄道しか知らなかった私は、「近鉄」という略称を踏切で見た途端、どうしても名阪間を走る特急列車や満員の通勤電車を想像してしまった。そして、そんな想像とは対照的に、2両の電車がのどかに走ってきたのを見てあまりのギャップに驚いてしまった。これが、他県からやってきた人の視点からみておもしろさを感じた彦根の踏切である。
疑問を感じたものもあった。下宿から大学へ向かう途中にある飛び出し坊やである。大学に通学しはじめて数日後に発見したのだが、疑問とともにおもしろい要素もかなりあったため一度立ち止まって見つめてしまった。
形は通常の飛び出し坊やなのである。しかし、体の部分のイラストが完全に、「ドラえもん」を表現しようとしたイラストになっている。どうしてわざわざ、飛び出し坊やとシルエットを合わせるのに無理のあるドラえもんを描こうとしたのかが一番の疑問である。近付いて詳しく見てみると、明らかに体の形が合わないのがわかる。胴体と丸みを帯びた手はともかく、顔の形が合わずアンバランスになってしまっている。本来ドラえもんにあるはずのない髪の毛の部分は水色に近い色を塗ってごまかしているようだ。そして最も不自然なのは足の部分である。飛び出し坊やのシルエットに合わせたために、ドラえもんらしさの一つの短足が全く別物に成り代わってしまっている。
ふと反対側はどうなっているのかと思い見てみると、野球少年なのである!手にバットとボールを持っているが、飛び出し坊やの原形はとどめている。明らかにこちら側の方がきれいで整っているのに、どうして片側だけ無理やりドラえもんを試みたのかが不思議でたまらなかった。ただ、あえて別々のイラストにすることで目立ち、本来の道路横断の注意喚起には役立っているのではないかと感じた。
今回、自分の発見を記して感じたことは、どんなに小さな発見でも、文字や文章にすると伝えたいことがかなり出てくると言うことだ。日常生活の中での小さな発見や出来事をくだらないとするのではなく、少し立ち止まって深く考えてみるのも大切だということが分かった。
(H.O)
私がまだ小学生くらいの年頃に、ある噂を聞いた。「あそこは夜になるとお化けが出る」。子供を近づけないためなのか、本当にそれが出るのかはわからない。
お化けが大の苦手で、でも一度は訪れてみたいと思っていたその場所を確認すべく足を運んだ。もちろん昼の間に。
その場所は多賀町内からサービスエリアへ向かう道の途中にある、多賀SLパーク跡地だ。昔の蒸気機関車がそのままの形で残されており、外観だけは何度も目にしていた。実際に近づいてみると思っていた以上に大きく、中をのぞいてみても風化することなくきれいなままであったことに驚いた。
しかし実際に私がそこを訪れてみて見つけた不思議なものは、機関車ではなかった。より奥に進んだときに見つけた、公園とそこにあったベンチだった。それらは草むらに隠れており、廃墟化していた。噂ではそんなものがあるとは聞いていなかったため、見つけたときは不気味で不思議に思えた。公園はまだしも、私がより不思議でならなかったのはベンチだ。なぜか檻のようなものの中にあり、1つのベンチがぽつんと置いてあった。バスの待合室であったのかと推測しても、近くに停留所は見当たらない。ベンチは何十年も前に使われなくなったはずなのに、周りと比べてみてやけにきれいだった。ならば、ベンチは後付けで檻の中に何かを飼っていたのか……と様々な角度から思案してみるも、答えを知っている者は私の周りにいない。
取材を終え、公園の出口に向かうとあるものを見つけた。遠目から見るとほこらのようだった。すでに噂のお化けと廃墟化した公園とベンチによって不気味さを感じていた私。写真を撮るとすぐさま道路があるほうへ駆けていった。しかし後から見返すとただの養蜂箱のようだった。なぜあそこに、一つだけぽつんとあったのかはわからないが。
今回、私の町にある不思議なものを取材して、観光名所ではなくても楽しめるところが地域にはあるのだなと感じた。答えが周知ではない分、じっくりその歴史や背景を思案することができる、そのことがより私を夢中にさせてくれた。授業で学んだ日本人の観光に対する姿勢、つまりガイドブック片手に再確認するだけの旅とはまた違う面白さを味わえるのが地域探索なのだろう。また時間があるときにふらっと出かけてみるのもいいかもしれない。
(R.K)
なぜそれが不思議だと思うかは絶対にありえないと私が感じるからである。まず道路から彦根城の石垣まで堀をはさんで10メートル以上あるはずだ。なのにあんな狭い隙間に空のペットボトルがジャストフィットで挟まっているわけがない。このあり得ない現象に出くわしたのは地域の社会と経済の授業の課題で彦根城の周りを探索していたときに発見したのである。はじめ見たときは面白いとしか思わなかったが、よく考えると不思議なのである。
まずどうやってあの穴に入れたのか? 陸から投げて入れるなどは到底できないであろう。船に乗って入れるならおそらくできるだろうが、わざわざそんなことをはしないであろう。いくら考えても答えは出てこないのである。一度なぜ、あんなところにあるのかと考え出せばきりがないのも事実である。
私は「不思議とは考え出さないと始まらない」と思うのである。私がこの状況を不思議と思ったのは、やはり何故、どうしてと考え始めたからである。この不思議に出会えたのも、考察することができたのも全部この地域の社会と経済だと考えるとやはり私はこの授業をとったのは正解だったのだと思う。この授業をとっていなかったらこんな風に彦根の面白いところや不思議だと思うことはなかったはずなのである。
(T.U)
脱力してしまうような、気の抜けた表情である。ついしかめっ面になってしまうここ最近の炎天下の中この顔を見つけると、つられて頬が緩んでしまう。しかしこの顔とじっと見つめ合うと、何かを訴えかけられているようにも見えれば、私を通り越しただただ青空を見つめているようにも見える。対面するたびに、毎回同じであるはずなのに、変わった表情を見せてくれるのだ(以下親しみを込めて、「この顔」を「彼」とする)。
なんとも不思議な表情をした彼は、滋賀大学へ登校する際の道端に見ることができる。彼を発見したのは、滋賀大学に入学したばかりの雨の日だった。傘を差し長引く雨にうんざりしながら登校していると足元にいる彼に気付いた。口元が緩み、ニヤリとしてしまう。これが彼との始まりだ。以降登校の際には毎回彼の表情をチェックする習慣が出来上がった。
側溝の蓋と思われる彼は、不定期に移動する。道路には蓋が5枚ほど等間隔で並んでおり、このうちの1枚が彼である。定期的に側溝の掃除が行われるらしく、彼は時々居場所を変える。のんきな顔がある日突然消えたかと思えば、2つ奥の蓋の上に現れる。そんなゆるさとミステリアスを兼ね備えている彼だからこそ、毎日見ても飽きないのだ。
彼の発見は日常に密かに佇むおもしろさ、楽しさをうまく見つけ出すきっかけとなった。時には空を見上げたり、ちょっと小道に入ってみたり、しゃがみ込んでみたり、そんな気ままな登校もたまには良いのかもしれない。
(N.I)
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屋根瓦の図像は様々で、龍だったり、恵比寿、大黒、或いは波に家紋をあしらったものや宝珠など、その家で暮らす人々の願いが屋根には載っている。 彦根の松原で、今まで見たことのない屋根瓦を見つけた。正面から写真を撮ることができなかったので全体は解らないが、子どもが3人、リアルな屋根の瓦があった。
僕は、波兎の文様(竹生島紋様)を探すために屋根の瓦を普通の人よりは多く見ている。何かの意図があるはずなのだが、僕の知識では解りようがなかった。
故事に因むものだろうかと、「逸話」「子ども」などのキーワードをインターネットで検索してみて驚いた。超有名な「瓶割りの図」がモチーフだったのだ!
瓶割りの故事は、中国北宋時代の政治家司馬光の子どもの頃の話だ。
司馬光が7歳の時、友達と遊んでいる時に、1人が飲み水を貯める大きな水瓶に落ちて溺れそうになった。それを見て司馬光は、水瓶を割って友達を救い出した。父親は大切な水と水瓶を失ったが、友達の命を救った司馬光を褒めたという。
瓦に描かれた3人の子どもの背景にあるのは大きな瓶で、真ん中の子どもは故事から推測すると、割れた瓶から顔を出した瞬間だろうか……。人命が何よりも大切であることを説く故事のワンシーンである。命を救い、瓶から流れ出た水が火伏せとなるよう、この家の人は願ったのではないだろうか。
そしてまた、この家の側を通りかかり、屋根の「瓶割りの図」を見る時、誰もが命の大切さを思い、近所の子ども達にも「あの瓦は……」と司馬光の逸話を話して聞かせることもあっただろう。
何れ瓦は劣化し、失われる運命にある。屋根に戴いた瓦の意味も代々薄れていくのが常である。
2014年正月に僕はその故事を知ることになった。普段は失われている意味が、或日、何かの理由で甦ることがある。そこに在り続けることは、やはりそれだけで意味あることなのだ。
しかし……、万事はつつがなく、思い出すことがない方が幸せなのかもしれない。
少し、判らなくなった。
湯谷神社境内の牛頭天王(ごずてんのう)社に初詣に行った。牛頭天王社は一般的にスサノオノミコト(素戔嗚尊)が祭神で、その荒ぶるイメージが好きだ。
湯谷の牛頭天王社は、「安政6年(1859)に悪疫伝染し、厄除けのために津島神社から米原村に勧請して、その霊験により悪疫が免れたという謂われがある「病平癒の神様」だ。 以前にも書いたかもしれないが、社の横に石でできた牛が檻の中にいる。檻は訪れる人々から牛を守るためにあるのか、牛をこの場につなぎ止めるためにあるのかは解らない。立派な角があり、目の造形も独得なこの牛を僕は気に入っている。
ところで、以前から気になっていたのが「湯谷」という名前だ。温泉が湧いていたのではと想像はつく。実際に、社伝によると「上古出雲之国人諸国を巡視して此の山谷に至り、里民をして地を穿たしめしに、霊泉惣ち湧出せり」。輿地志略に「湯谷は昔此の地に温泉ありて、諸病を治す。或る日葦毛の子を此の湯坪に洗ひしより此の湯かるる」とある。
神社は、古来六所権現社と称したが、明治以後、地名に因み湯谷神社と改称したというから、本当に湯は湧いていたのだ。湯坪がどの辺りにあったのかは判らないが、「葦毛の子」とは馬のことだろう、涸れたその湯が有馬温泉へ移ってしまったという話も伝わっているから壮大な話である。
東近江市五個荘石馬寺町にある石馬寺は、聖徳太子縁の寺で、太子の馬が石と化して池に沈んでいたことから石馬寺(いしばじ)と号したといわれている。聖徳太子直筆「石馬寺」の三文字の木額、太子が馬をつないだ松の樹は本堂に安置してある。また、石化した馬は参道の石段下の蓮池に現存する。
僕が訪れたのは昨年の9月14日で、境内の不動明王の石像が印象的だった。ピグモンのような、或いは、『千と千尋の神隠し』に描かれていたような石像である。ちゃんと取材したいと思いながら年を越えてしまったが、午年の今年は、実現したい。
しかし、この石像、ビリケンにも似ているような気もする。初代の琵琶湖大仏と共に注目の仏像である。
「馬上」は「まけ」と読む。長浜市高月町にある大字だ。2014年は午年、僕が真っ先に思い出したのが、この難解な読み方をする「馬上」だった。
馬上の集落の外れに「名水・天皇の水」という湧水がある。高月町の昔話によると、徳川時代の初め、馬上の伍井という人の跡取り息子が、原因のわからない病気にかかった。いろいろ手を尽くしても良くならなかったが、母親が、夢の中で「北馬上在の谷の東北の岩の間から美しい清水が湧き出ている。その水を、夜丑の刻に汲んで飲ませる行を百日続けなさい」というお告げを聞いた。
これこそ真の神仏のお助けにちがいないと、両親はすぐ場所を探し、息子に清水を飲ませ続けたところ、百日目に、一丈(約3メートル)余りの白衣白髪の仙人が現れ「よくぞ百日の行を続けた。御神助間違いなし」と言い残し、山頂の闇の間に消えていった。そして、百日目の水を与えると、あれほど重かった息子の病気も日に日によくなり、以前にも増して健康な体になった。
その水の湧き出る地先(番地のない土地)を、「テンオー」といったが、「日本で一番お偉い方は天皇様だ」と、名をお借りして、「天皇の水」と名付けた。以来、人々の臨終前に天皇の水を与えると、極楽往生が出来るといわれるようになったという。
犬上郡多賀町萱原には二丈坊という名前の妖怪がいるのだが、「一丈余りの白衣白髪の仙人」を、一丈仙人としてデビューさせたいと、12年前にも思った次第である。
滋賀県は京阪神や中部地方、さらに北陸の影響を受け、まさに境目の地域で、江戸時代は井伊家との関係で関東の影響もあるとされる。更に、歴史を遡れば、アイヌや大陸とも繋がっているらしい。
昨年来、編集部では、「お好み焼きと白ご飯」が話題になった。
「お好み焼きを食べた後、白ご飯を食べるかどうか」である。東西の食文化の違いを示すのによく取り上げられるテーマだ。ネット上では「お好み焼きはご飯のおかずになると考えているのは、大阪では4割、東京では1割」という情報があった。
とりあえず、DADAエリアでお好み焼きを扱う各店に問い合わせ、調査を始めることにした。白ご飯のメニューがあるところが、関西系お好み焼き屋ということになる……(次号は、お好み焼き屋さん3店舗一挙掲載予定)。
しか〜しである。お好み焼きのお店を調べるだけでは、湖東・湖北がどのようなお好み焼き文化圏に属しているのかは判断し難い。湖東・湖北で暮らす人々がお好み焼きをどのように食べているのか、実態調査が必要だ! お好み焼きが主食なのか、ご飯のおかずがお好み焼きなのか、お好み焼きの後、デザートの感覚でご飯を食べるのか、いやいやお好み焼き一筋なのか……。 しかし、それでも編集長は気に入らないらしい。
ご飯のおかずにお好み焼きを食べるのかどうかではなく、「白ご飯」を、その日の最後の締めくくりに食べるのが関西人の証だというのだ。寿司を食べても最後はご飯を食べないと、食べた気がしないのだという。
数あるベルロードの飲食店のなかでも、お好み焼き専門店「なかよし」は界隈の老舗といってもいい。25年の間、池中土佐子さんがひとりで切り盛りしてきた。
ハンバーグ、わかめ、きんぴら、すき焼き、ホルモン……。これらはすべてお好み焼きのメニューだ。定番の豚玉などとあわせると35以上のバラエティーがある。
「お店で作った一品もののお惣菜を入れてみたり、バイトに来てくれる学生さんの意見を取り入れたりで、いつの間にか増えて、半分以上がうちならではの創作でしょうか。お好み焼きは何でも入れることができますから」と土佐子さんは話す。
単品のご飯をあわせて注文する人もいるが、なかよしでお好み焼きとご飯の組み合わせといえば「ライス玉」である。
名前の通りご飯がトッピングされたお好み焼きで、まず鉄板に豚肉を敷いて生地を流し込む。ここまでは普通のお好み焼きと同じなのだが、その隣でしょうゆ味の焼き飯を作る。できあがった焼き飯を生地に載せバターを落としたのち、両面を焼き、ソース、青ノリをトッピングする。こんがりとさせた焼き飯のカリッとした食感がアクセントの一品が完成する。 お名前からわかるように池中さんは高知のご出身。お好み焼きの仕上げには、たっぷり踊るほどのかつおぶしを載せるのが、なかよし流。ただ、ライス玉にはあえて青ノリだけというのが池中さんのポリシーを感じさせるのである。
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滋賀県彦根市長曽根南町550 / TEL: 0749-26-2434
営業時間 12:00〜23:30 / 定休日 火曜日
ライス玉1,030円、ごはん(小)210円、豚玉610円、わかめ玉610円、ホルモン玉1,030円など
国道8号線が旧びわ町の方へぐぐっとカーブする手前に「さんきち食堂」はある。ご主人の中山晴夫さん(69)は、京都で同名の食堂を営んでおられ、20年ほど前に長浜に来られた。
丼、麺類、定食など定番の食堂メニューにお好み焼きが並び、鉄板のある座敷席がある。お好み焼きは、鉄板に油をひくところから、器の具材を混ぜるのも、生地を流し込んで焼き加減を見守るのも、お客さん次第だ。食堂にお好み焼きがあるということも新鮮だったが、自分で焼くというスタイルも界隈では珍しくなった。もちろん、中山さんにお任せしてもいいのだが、焼く過程を楽しんでもらいたいという思いがあるそうだ。
「男女関わらずお好み焼きのみ注文される方は珍しいかもしれません。お好み焼きとおにぎり、うどんなど他と組み合わせてくださいます。数人で来られた場合は、各自好みのメニューを頼んで、お好み焼きは分け合ってというのもあります」。他と組み合わせて食べ切れなかったお好み焼きはテイクアウトできるそうだ。
数種あるお好み焼きはメニューによってサイズが違う。私が注文した「特製さんきち焼」はイカとかしわ、豚肉が入っていて、「大きい方」に相当する。おにぎりも一緒に注文した。
ご飯との組み合わせは双方をどういうタイミングで食べるのか、実は結構コツがあるのではないだろうか。うどんと組み合わせたら……?かなり難しいテクニックである。
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滋賀県長浜市森町365-3 / TEL: 0749-65-1966
営業時間 11:00頃〜21:00 / 定休日 木曜日
特製さんきち焼810円 他お好み焼き650円〜、おにぎり150円(1個)、ライス160円、うどん類500円〜など
鉄板焼きメニューに加えて、定食類が充実しているのが特徴だ。「おおきに定食」は、豚玉もしくは焼きそばと、卵かけご飯がセットになっている。それに自家製豚汁、お漬物がつく。「うちのお好み焼きは粉もんの割に粉っぽくなくて、野菜がたっぷり入ったふわふわの新食感なんです。だからご飯のおかずとして食べていただけます。」と店長の上野真裕美さんが教えてくださった。
実はお店の隠れた人気が卵なのである。大分県で自然飼育された鶏の卵を使っていて、長年飲食に携わってこられた上野さんによる、選りすぐりの食材なのだ。卵を用いるすべてのメニューに使われ、卵かけセットという単品メニューもある。
おおきに定食では焼きそばをチョイスした場合、卵かけご飯の卵は、目玉焼きにして焼きそばにトッピングというアレンジも可能だ。半熟の黄身をつぶして絡ませながら食べる焼きそばも魅力的だが、お好み焼きに半熟目玉焼きも合うような気がする。
ところで、おおきにでは、お好み焼きの注文時、自分で焼くかお店に任せるか尋ねてくれる。焼くのを委ねるかどうかに関しても地域差がありそうだ。 ご飯との組み合わせから始まったお好み焼き考ではあるけれどなかなか奥深さを感じている。「おおきに定食」は、お好み焼きを「おかず」と割り切っている点で、最も関西的であると言っていいのではないだろうか。
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滋賀県東近江市八日市浜野町3-1 アピア4階
TEL: 0748-24-2655
営業時間 11:00〜21:00(20:00L.O.)
定休日 アピアの休日に準ずる
おおきに定食780円、お好み焼き・ネギ焼き・焼きそば350円〜(サイズ、トッピングを選択)、卵かけセット350円、定食類600円〜など
「おこのみハウスきゃべつ畑」のご主人矢羽野利彦さん(48)の出身は大阪で、「小さいときに母に作ってもらった」お好み焼きをめざしている。だからきゃべつ畑のお好み焼きは、関西のお好み焼きを定義していると言っていい。
矢羽野さんにとってお好み焼きはとても身近な存在であり、「お好み焼きはご飯のおかずです。お好み焼きだけだと口が物足らない感じがするんですね。ご飯を食べるのは口直しの意味合いもありました」と話す。『名探偵コナン(118話)』で高校生探偵服部平次が言っていたことを裏付けている。
矢羽野さんには理想とするお好み焼き店の姿がある。「商店街にある昔ながらの甘味屋さんのような」店である。
「お好み焼きはおかずであると同時におやつ感覚でもあるもの。今は少なくなってしまったけれど、かつてはお汁粉やぜんざいと並んでお好み焼きを出す甘味処がありました。お昼どきでもお好み焼きを食べながらゆっくり時間を過ごしてもらいたいと思っています」。
そんな矢羽野さんの思いを反映させたのが「デザートランチ(1050円)」だ。お好み焼きはバームクーヘン豚の豚玉、シーフード、もちチーズから、デザートはチーズケーキ(ソフトアイス添え)、ワッフルもなか、フォンダンショコラ(ソフトアイス添え)から選ぶ。サラダ、飲み物もつく。おにぎりとお好み焼きのランチセットもあるのだが、デザートランチは女性はもちろん男性の支持も高いそうだ。単品のスイーツや、ジャスミンティー・緑茶などお茶の種類も充実している。矢羽野さんは、研究を重ねるうちに小麦粉をはじめとする食材をほぼ滋賀県産のものでまかなうようになった。大阪の母の味には、滋賀のうまみが閉じ込められているのである。
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滋賀県彦根市城町2-9-1 / TEL: 0749-24-2600
営業時間 11:00〜15:00・17:00〜22:00 / 定休日月曜日
ランチセット800円(平日11:00〜14:30)、お好み焼き(豚玉、イカ玉のいずれか)または焼きそば・おにぎり・豚汁・サラダ。お好み焼き700円〜、松原産のネギを使ったネギ焼き900円〜、パフェ390円など。
どら焼きの皮の部分に食用の竹炭を配合し黒味を出し、生クリームを加えたカスタードクリームを挟んでいる。
「うちの定番商品である普通のどら焼きはもっちりとした皮ですが、黒どらはふんわりとしたスポンジのような口当たりになっています」と店主の大菅良治さんが教えてくださった。
実はこの黒どら、冷凍状態で販売されている。凍ったままアイスクリーム状態でも、半解凍でヒンヤリ感を楽しみながらでも、もちろん完全解凍でも、好みの具合で食べることができる。
皮の黒とクリームの白のコントラストは、彦根城の天守や町家の風情をイメージしたものだ。「菓心おおすが」は、彦根に本店と夢京橋店と2店舗あるのだが、「黒どらをほおばりながら城下町を散策してもらえれば」との思いから、夢京橋店のみで販売している。
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滋賀県彦根市本町2-2-47 / TEL: 0749-24-1128
営業時間 9:00〜18:00 水曜定休
黒どら150円(解凍後は当日中にお召しあがりください)
旧愛知川町、中山道沿の和菓子店「吉福庵」が一昨年、彦根に洋菓子店「カシュカシュ」をオープン。「黒いシュークリーム」は両店舗を経営する吉川猛さんが、開店1周年を記念し創作したものだ。黒ごまのペーストを練り込んだ特製生クリームと、竹炭を配合したシュー生地とのグラデーションが美しい。
吉川さんは城郭好きで、彦根のまちなかをぶらり歩くのが息抜きなのだという。1周年記念のお菓子は彦根にちなんだものをと構想を練っていたときに、彦根城のお濠に住む黒鳥に気づき、「黒いスイーツから、彦根藩の歴史につながっていくのもおもしろいと思いました」と吉川さんは話す。黒鳥は彦根の友好都市水戸から贈られたものだ。桜田門外で大老井伊直弼を襲った浪士たちの出身地である。
黒い色味の食材は、体に良いとされるものが少なくない。竹炭は浄化作用があるといわれ、無味無臭なので生地の風味や食感を損ねることもない。黒ゴマは動脈硬化予防や老化防止に効能があるようだ。
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滋賀県彦根市平田町292-6 ナカムラビル1階
TEL: 0749-22-6008
営業時間 9:00〜20:00 水曜定休
黒いシュークリーム 126円
吉福庵でも販売
滋賀県愛荘町石橋708 / TEL: 0749-42-3004
ふたつのスイーツ、どちらも城下町彦根をキーワードに考案したところ、黒色になった。最初から黒色や健康志向のお菓子を創ろうと目指していたのではないところがおもしろい。彦根藩の色といえば「井伊の赤備え」の「赤」を思い浮かべるが、「黒」もまた彦根をイメージする色なのかもしれない。「ブラック」と名乗らず「黒」とするところが妙なるところである。
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定番の紅しょうが、天かす、ネギに加えて、キャベツにアミエビ。地元のお年寄りや子どもたちに喜んでもらいたいと、栄養豊か、彩り鮮やかを意識し、たっぷりの具材を使ってあっさりと仕上げているのが自慢だ。店主の熊川さんの人柄が伺えるような丁寧な焼き上げにも注目したい。
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滋賀県高月町高月 JR高月駅西口前
tel.080-1501-8109(電話注文可)
11:00〜18:00まで注文受付 / 日曜休 / 8個350円
たこ焼き歴10年のマスターが、日本中から厳選した素材を使って焼き上げている。5月に生地の出汁を改良し、素味でもより豊かな風味を楽しめるようになった。一番人気のネギマヨは、シャキシャキとした食感で飽きがこない逸品である。
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滋賀県彦根市平田町552-10 / TEL: 080-6127-7394
12:00〜23:00 / 不定休
6個400円、8個500円、10個600円 / ソースは甘口、辛口、醤油の3種類。ネギマヨ、ネギキムチ、ツナマヨ、チーズ1枚はプラス50円
鉄板の穴から飛び出るほどの大きなタコに加えて、独自に配合した14種類ものダシが生地の風味の決め手になっている。新作開発にも余念がなく、大判焼きサイズのチーズ入りたこ焼きが登場予定。
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滋賀県湖北町今西1731-1 湖北みずどりステーション敷地内
TEL: 090-3657-6214(電話注文可)
10:00〜18:00 / 不定休
9個500円、12個650円、ビッグたこ焼き1個200円
大粒のマダコと冷めても美味しいオリジナルの粉を使い、外側だけカリッと焼き上げているのが特徴。近くの近江高校生が考案したという「しおキム」は塩だれとキムチソースをブレンドしたもので、松原店だけの特別メニューである。
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滋賀県彦根市松原町石持1904-3 / tel.0749-27-3229
10:00〜21:00(6月〜8月。その他は20:00まで)/ 不定休
3個173円、6個346円ほか / ソース・だししょうゆ・キムチソース・塩だれなど6種
イートイン可
夢京橋キャッスルロードに10年。長年愛されているのが、まろやかで風味豊かなオリジナルソース。トマトソースなどを隠し味に使った秘伝の味わいは、中をとろりと焼き上げたたこ焼きの絶妙な引き立て役になっている。
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滋賀県彦根市本町2-1-2
TEL: 0749-27-6828(電話注文可)
11:30〜19:00 / 月曜定休
10個500円ほか(ソース、しょうゆ、しお)、チーズ入り6個350円、たこせん150円、チーズたこせん200円
イートイン可
11種類あるソースのうち、塩ソースは、市販されていない口当たりの爽やかな物を取り寄せている。そこにネギと辛子マヨネーズをトッピングし、適度な辛さとクリーミーな食感を同時に味わうのが、お店の方おすすめの組み合わせである。
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滋賀県彦根市大藪町9 / TEL: 0749-26-5150
11:00〜21:00 / 不定休
ソース(8個350円)、塩ソースネギ辛子マヨ(8個450円)、もちチーズ(8個550円)など
イートイン可
口いっぱいに広がる豊かな風味は、卵を入れる前の生地を冷蔵庫で一晩寝かせるのが秘訣。研究熱心なご主人曰く「いい生地は飲んでもおいしい」。外も中もやわらかく、の焼き加減にもこだわりどころを発揮。
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滋賀県彦根市本町1-8-32 四番町スクエア内
TEL: 0749-22-2556(電話注文可)
12:00頃〜19:00頃 / 木曜定休
8個250円、たこせん200円 / イートイン可
独特の甘辛いソースは師匠から弟子へ、一人ずつ3代に渡って相伝された特製。開店から20年以上、スタイルを変えないことにこだわり、ファンの間では忘れられない彦根の味として定着しているという。「形も数もどこか懐かしい」と、世代を越えて語られる味である。
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滋賀県彦根市西沼波町168-2 / TEL: 0749-24-7626
11:00〜22:00 / 月曜定休
12個400円、10個入り3皿で1,000円 / 辛口ソースもある。
唐突に、たこ焼きがテーブルの上にドカドカドカドカと置いてあった。事態を悟るには少し時間が必要だった。
たこ焼きに深い思い入れがあるわけでもなく、こだわりも無い。
面白かったのは、随分といろいろな表情をたこ焼きは獲得したのだなぁということだ。
皆、同じ大きさだと考えていたら間違い、湖北のたこ焼きは湖東のたこ焼きより、ひと回りデカい。具やソース、トッピングも様々なバリエーションが生まれていた。僕は随分と世間知らずだったことを思い知った。
極度な機械化と自動化が進む21世紀にあって、たこ焼きだけは、人類の両手を使い、千枚通しで焼き上げるところに、個としての創意工夫が可能な領域を残している。創意工夫という四文字熟語を久しぶりに打った。
千枚通しという道具も他に使い道があるのだろうか……。千枚通しの代わりに金気を嫌ってか、金属の擦れ合う音を嫌うのか知らないが、竹串を使っているところもある。
結局、お腹も空いた時間帯だったし、なんだかんだと食べたさ……。
ひとつ判ったことは、僕の場合、味噌汁のように子どもの頃に食べたたこ焼きの味が基本になっているということ。振り返る原点があり、ちゃんと語ることができるのだ。
僕の場合は彦根の北野神社近くにあったたこ焼き屋さんが原点だ。そう考えると、故郷の味を名乗るたこ焼きも現れるのかもしれない。
【小太郎】