百と桃

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 多賀町 2013年12月16日更新

 毎年、初詣で賑わう多賀大社は、昔は多賀社という名だった。明治維新後、国家神道が確立化されるなかで、多賀社は、明治4年(1871)に県社兼郷社、明治18年(1885)に官幣中社となり、大正3年(1914)に官幣大社に昇格する。昇格奉告祭や奉祝祭が行われたことが記録されている。国家管理のもとで天皇の祖神とされる天照大神を祀る伊勢神宮が全国の最高位に位置付けられた時代である。
 「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」と『古事記』は物語り、伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)の2柱を祀り、「お伊勢参らばお多賀に参れお伊勢お多賀の子でござる。お伊勢七度 熊野へ三度、お多賀さまには月参り」と古くから謡われた多賀社である。官幣大社の昇格は、特別な意味をもった出来事であったに違いない。
 大正3年は遡れば100年、漢字は「百」である。
 また、大正3年3月8日には、近江鉄道多賀線が開通している。
 多賀線は、高宮駅(彦根市高宮町)と多賀大社前駅(多賀町多賀)を結ぶ路線で、駅はふたつしかない。始発駅の次が終着駅だ。何やらロマンチックである。距離約2・5キロメートル、乗車時間4分。かつてこの区間に「土田駅」という駅があったのを知る人は少ない。名前の通り、多賀町土田附近にあり、プラットホームだったところに、名残を惜しむように桜が5本、植えられている。
 湖東平野に鉄道が走ったのは明治22年(1889)。官鉄(東海道線・現JR)米原|大津間が開通し、そのとき多賀の人々にとっての最寄り駅は彦根駅だった。
 近江鉄道は、明治31年(1898)、彦根|愛知川間で開業。最寄り駅は高宮駅になった。
 多賀線は、多賀軽便鉄道が高宮|多賀間の免許を近江鉄道へ譲渡し、運行が開始され、最寄り駅は多賀大社前駅と土田駅のふたつになった。
 高宮駅から1・9キロメートルのところにある「土田駅」は、昭和18年(1943)にその役目を終え、一旦は休止という措置がとられたが、10年後に廃止となった。多賀大社前駅との距離は600メートル、あまりに近かったせいだろう。
 官幣大社になったのが「百」年前。多賀に鉄道が走るようになって「百」年。そして今、「花桃のオーナー百人の大募集」が行われている。多賀大社前駅からかつての土田駅に隣接する踏切までが植樹の予定地だ。
 多賀は「桃」とも縁がある。
『古事記』の黄泉(よみ)の国のくだりで、黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)に一本の桃の木があると記されている。黄泉(よも)つ軍に追われていた伊邪那岐命は、桃の実を三つ投げつけることによって黄泉つ軍を退け、無事に地上へ戻ることができたのである。
 そのとき「わたしを助けたように、この国で苦しい目にあって悩んでいる者がいたら、これからも助けてあげなさい」と伊邪那岐命は桃に名を授けた。その名は「オホカムヅミノミコト」という。
 「百」は、和語の数詞では「もも」と読む。山口百恵を思えば特別な読みではないことが解るだろう。日本の独得の数え方だ。
 そして、「桃」は「もも」で、僕の知る限り唯一、神の名を持つ果実である。
 「百」と「桃」。
 新年、「オホカムヅミノミコト」に願いを託し僕はオーナーになることにした。一苗3,000円、一人一苗かぎりである。

 

花桃のオーナー100人大募集

お申し込み・お問い合わせ  TEL: 0749-48-1234 / FAX: 0749-27-4505(原田)
植樹予定の品種は「照手桃」

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

小太郎

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