日本で2番目に古い隧道

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2013年8月30日更新

滋賀県側「柳ヶ瀬隧道」

 相変わらず暑い日曜日だった。予想はしていたけど捗るものはなにもなく、午後、カメラを持って出かけることにした。とりあえず北へ……、少しは涼しかろう。福井県境を目指した。積雪記録でお馴染みの余呉町柳ヶ瀬の集落を通り抜け、雁ヶ谷(かりがや)の分岐を右にルートをとると、「柳ヶ瀬隧道」がある。平成15年度に「土木学会選奨土木遺産」(社団法人土木学会)、平成20年度に「近代化産業遺産」(経済産業省)に認定されている。
 片側交互通行の信号機があり、大抵の場合赤信号で待たなければならない。道路脇の伊藤博文書「萬世永頼」の石額を眺め、近代化遺産の説明を熟読することができるくらいのんびりした時間待ちである。なにせ全長1352メートルの交互通行なのだ。
 明治2年(1869)11月、新政府は東京〜横浜間、京都〜神戸間、敦賀〜米原間(後に敦賀〜長浜間に変更)の鉄道敷設を決定し、敦賀〜長浜間の工事は、明治13年(1880)4月に着工。全国的にも早い6番目の建設で、柳ヶ瀬隧道は明治17年(1884)に完成している。

伊藤博文書の石額「萬世永頼」

 『神戸〜東京間の鉄道が部分開通している中、北陸米を大阪の市場にすることを主目的に、敦賀線(敦賀〜長浜)が建設されました。それまでの北陸米の運搬は舟運(和船)のみで、敦賀・新潟がその港です。航路は主に「新潟・敦賀〜下関経由〜大阪」、「敦賀(金ヶ崎)〜琵琶湖〜淀川水運」のみで90日〜半年の所要日数が3日に短縮されました。』(滋賀県側・近代化産業遺産碑文)
 当時、日本最長で外国人技師に頼らず日本人だけで完成させた2例目(1例目は逢坂山隧道)の隧道だった。この鉄道は昭和32年(1957)深坂峠経由(現在のルート)開通まで北陸本線として、それ以降は昭和39年(1964)の廃線まで柳ヶ瀬線として利用されている。
 敦賀から雁ヶ谷までの片勾配のため、 蒸気機関車は隧道内で立ち往生することがあり、窒息事故が度々起きたという。昭和に入り勾配緩和のため深坂峠経由の新線建設が決定したのだそうだ。排煙対策として、出口に外気遮断幕と送風口が施され、送風口は今も滋賀県側から約20メートルのところに確認できる。 まさに近代化を物語る遺産である。柳ヶ瀬線は業績振るわず廃線となり、片側交互通行の道路トンネルとして今に至る。現役のトンネルでは日本で2番目に古く(日本最古の現役トンネルは「清水谷戸トンネル」・神奈川県)、完成当時、明治政府の参議だった伊藤博文が「萬世永頼」の書に託したのこの隧道への願いは今も生きているというわけだ。

明治14年、建設当時のままの姿を留める「小刀根トンネル」

 柳ヶ瀬隧道へは余呉湖を過ぎた辺りから国道365号線をまっすぐに、北上するのだが、旧北陸本線の廃線跡なのである。長浜市余呉支所前の公園に、「中之郷」という駅名表示板があるのも納得。ここはかつて駅のホームだったのだ。
 ところで、柳ヶ瀬隧道を抜けしばらく行くと、明治14年(1881)に貫通した「小刀根トンネル」がある。この工事以前に着手完了した逢坂山隧道は鉄道電化工事などによって改修されているので、小刀根トンネルは、建設当時のままの姿を留める日本最古の鉄道トンネルといえる。蒸気機関車の排煙だろう、煤が今も残っていた。
 暑い日だったが、日本で2番・1番の鉄道トンネルに触れ、充実した気分だった。ちなみに、柳ヶ瀬隧道がインターネットの中では有名な心霊スポットであることを知り、涼も得た次第である。

小太郎

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