目的地は杉本隧道 2

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2013年5月8日更新

杉本隧道

 木之本町杉本と余呉町上丹生を結ぶ「杉本隧道」へ行ってきた。以前からこの隧道を利用していたが、僕は10年以上この隧道の名前を「杉野隧道」だと思い込んでいた。近代化遺産を意識しながら訪れたのは今回が初めてだった。いつも資料として使っている『滋賀県の近代化遺産ー滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書ー』(滋賀県教育委員会・平成12年)を読み直してみて「杉野」ではなく「杉本」だったのだと解り直すことになった。僕にとってこの隧道は杉野に暮らす友人のところへ至る道だったから「杉野隧道」だった。杉野は、国道303号線を杉本より更に奥へ入ったところにある。僕は名実共に「杉本隧道」を訪れることになったわけだ。随分と遠回りをしたものである。
 さて……「杉本隧道」の話だ。大正6年(1917)着工・大正8年(1919)3月竣工、延長300メートル、高さ及び巾3.6メートル。記念碑に「大正七年六月竣工」とある。滋賀県下の山岳長大道路隧道の先駆けとなったのがこの煉瓦積みのトンネルである。

杉本側

 報告書によると「杉野川沿いに位置する杉野村大字杉本と高時川沿いの上丹生村大字橋本の間は、南北を隔てる丘陵地の鞍部にあたり、ここに土倉鉱山から労力と資材一切の寄付を得て県営事業として建設されたのが杉本隧道である。(中略)第一次世界大戦の最中であり、土倉鉱山が鉱石輸送路の効率化を意図したものではなかろうか。」と記され、扁額は杉本側が「杉本隧道」、上丹生側が「丹生隧道」となっている。昭和23年〜26年(1948〜1951)に改築され、現在はモルタルが吹き付けられ鉄骨波板による補強が為されている。
 土倉鉱山は銅鉱石を採掘していたところだ。国道303号線岐阜県境近く八草峠の手前に鉱山跡がある。明治40年(1907)に銅鉱脈が発見され、同43年に採掘が始まり、昭和40年に閉山した巨大な近代化遺産だ。最盛時には従業員やその家族を含めると1500人もの人たちがここで暮らしていたという。廃墟マニアや心霊マニアに有名な鉱山跡だが、当時の採掘場所は、更に2キロほど奥にあった。

上丹生側

 銅鉱石は敦賀港から船で運ばれていた。敦賀へ至るために杉野川沿いを南下し、木ノ本駅で、鉄道に載せるのだが、杉本あたりから上丹生へ出て中之郷駅で載せ換えることができればと着工したのが「杉本隧道」だったのである。
 車1台分がやっとの道幅と竜骨を連想する内部と300メートルという長さ……、対向車があった場合どうするのだろうという不安も重なり、ドキドキしながら通り抜ける。
 当時の交通手段は馬車である。果たして、真新しい煉瓦隧道を通る時、どんな気持ちがしたのだろう……。大正6年という時代の様子を想像することもできないが、当時の暮らしの切実さが漂っている。歪みや無造作な煉瓦積みなど、今まで訪れた村田鶴設計の美しく気品に満ちた煉瓦隧道とは明らかに異なっていた。「杉本隧道」は、気楽な近代化遺産巡りの僕にとっては相変わらず友人のところへ至る道の途上にある。友人宅はここを抜ければもうすぐなのだが、道草が過ぎて今回も日が暮れそうである。

参考

  • 『滋賀県の近代化遺産ー滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書ー』(滋賀県教育委員会・平成12年)

小太郎

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