目的地は杉野隧道 1

長浜・南浜港の石積み

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2013年4月24日更新

 人の都合でつくられ、都合で取り壊されたり放置されたりする近代化遺産が気に入っている。幕末・明治維新から第二次世界大戦終結までという近代を物語る構造物である。僕は構造物だけでなく、そのモノから近代の様子を知ることができれば、紙でも石でも何でも近代化遺産だと思っている。そして僕らがそれと気づかなければ、単なる石だったりするところがいい……。
 実は、木之本町杉野と余呉町上丹生を結ぶ「杉野隧道」を見に行こうと思っていたが、春の水辺を歩いてみたくて道草をすることにした。長浜の南浜にも忘れ去られた近代化遺産がある。『滋賀県の近代化遺産—滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書—』(滋賀県教育委員会・平成12年)では「旧南浜港石積み」という名前が与えられている。
 南浜をゆっくり歩くのは久しぶりだった。記憶とは随分異なっていたが公園整備が進み開放感のある場所になっていた。調査書には「現状は、長さ21m、幅4m、の石積みが残されているだけである」と記されているが、公園整備の途中で移された石もあるのだろう……何か大きな石が並んでいるなと判る程度に、今は存在している。
 室町時代にはすでに姉川河口に位置する商港として開け、江戸時代には湖北地方の最も大切な埠頭として栄え、寛保3年(1743)には防波堤も築かれたという南浜港の残滓である。室町時代や江戸時代の石積みだとは書かれてはいないが、ここに確かに港があった。
 さて、明治2年(1869)、オランダ人から航海術と造船技術を学び蒸気船が建造されると、琵琶湖には次々と汽船が就航し、近代湖上水運の主役となっていく。しかし、南浜港も日本の近代化の象徴である鉄道の発達により、盛衰する湖上水運と運命を共にすることになる。
 明治13年(1880)、京都ー浜大津間の鉄道が開通。明治15年(1882)長浜ー柳ヶ瀬間開通。これに合わせ、長浜城の内堀を開削して旧長浜港が開港する。大津ー長浜間は鉄道連絡船で結ばれることになる。明治16年(1883)長浜ー関ヶ原間開通。明治22年(1889)東海道線が全通し、北陸線の基点は米原に移る。長浜の鉄道基地としての時代は終わり、鉄道連絡船の乗換駅の役目を終え、竹生島への遊覧船の発着港となる。「南浜港は、太湖汽船の西回りおよび東回りの定期航路と竹生島観光遊覧の際の寄港地でもあった。明治44年(1911)における同港の乗客数は5499名」(滋賀県の近代化遺産)。南浜港もまた湖北の湖上水運の一翼を担いながら陸上運輸の発達と共に姿を消していったのだろう。
 琵琶湖に向かって和田神社の社がある。御祀神は屋根に「金」の文字があるから、航海の安全を祈る金比羅権現に違いない。ちなみに、この辺りの住所は長浜市南浜町和田岬である。蛭子様は淡路から神戸の和田岬に上陸したといわれ、和田岬には和田神社がある。偶然だろうか。気になっている。ひょっとしたら、神様の都合で……なんてこともあるのではないだろうか、何せ室町時代からある港のことなのだから。
      

参考

  • 『滋賀県の近代化遺産—滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書—』(滋賀県教育委員会・平成12年)

小太郎

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