花札、道風、そして努力

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2013年3月22日更新

 日撫神社(米原市顔戸)には「波兎の文様(竹生島紋様)」が本殿にあるので、僕にとって以前から特別な神社だった。波兎を探している時はそれしか目に入らないのだが、ただ導かれるように訪れる場合、様々なものが見えてくる。相変わらず、日撫神社に祀られている少彦名命(すくなひこなのみこと)・息長宿禰王(おきながすくねおう)・応神天皇についての勉強は封印したままだが、神域にあるものについて知ることで、解ってくることもあるのではないだろうか。
 参道の下馬石。いつもは足を止めることはないのだが、よく見ると横に解説を記した石もあった(普段はこんなことにも気が付かないのだ)。
 「社寺の境内は神聖な場所として古来から牛馬の乗り入れが禁じられているが、この石は聖域への結界を示すものである。書は平安時代中期の書家で日本三跡の一人小野道風の作と言われている。」
 「三筆」或いは「三蹟/三跡」とは、その時代の書道に優れた人々をいう。「三筆」が、空海・嵯峨天皇・橘逸勢(たちばなのはやなり)。「三蹟」が、小野道風(おののみちかぜ)・藤原佐理(ふじわらのすけまさ)・藤原行成(ふじわらのゆきなり)だ。傑出した書家として古くから尊崇されていたのである。
 小野道風? 安政の大獄で幽閉された小野湖山は知ってはいるが、道風のことは知らなかった。僕の日本史レベルはこんなものだ。道風は、雨に蛙の花札の人物である。何度も何度も柳の枝に跳びつく様子を見て、努力の大切さを悟った人だ。花札の中で好みのデザインだったがそれが道風だったとは……。
 柳の芽吹く季節である。柳の枝に跳びつく蛙を見て努力を悟った人が書いた「下馬」の文字が僕の前にある。そこに意味を見いだそうとするのは凡人である所以。僕はさらりと通り過ぎて「やっぱり努力か」と、うそぶくのである。

 

小太郎

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