米原・上丹生から東北へ「春」の贈り物

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2012年1月4日更新

田の浦に贈る球根を手に記念写真(上丹生)

 先日、東日本の太平洋沿岸に津波警報が出された。テレビ画面に注意を促す表示が映し出されると、脳裏には昨年3月日本地図をぐるりと囲んでいつまでも消えなかった赤色のラインが甦る。数日後東北からは「甦ってへこんでしまいましたよ。この先どう対処したらいいのか……」というメールが届いた。一歩一歩進むしかない復興の道のりと、記憶が引き戻されるあっけなさ……、何なのだろうと思ってしまう。
 縁あって被災地に通うようになり、確かな時の流れを一番感じられたのは植物の成長だった。昨年秋、宮城県南三陸町田の浦という漁村で地元の女性たちとチューリップの球根を植えた。芽が出、葉が伸び、つぼみが膨らむ速度は、復興のスピードアップが叫ばれる中、急ぐことだけがすべてではないことを教えてくれた。

上丹生からのメッセージを立てる(田の浦)

 先月末、今年もまた田の浦にチューリップの球根が植えられた。ただ今年の球根は特別だった。米原市の上丹生という集落の人たちからの贈り物なのだ。
 上丹生は米原市の北東部、霊仙山の麓にある木彫師や彫金師といった仏壇職人の暮らす集落である。過疎高齢化の進む中、平成13年より「プロジェクトK」というまちづくりのチームを結成。活動は炭焼きに始まり、集落の記憶を一枚の絵にする心象絵図づくり、そして最近では自作の石窯でピザを焼いたりと幅広い世代がそれぞれの持ち味を出して和気あいあいと活動をしている。
 上丹生と田の浦とのつながりは昨年秋頃から始まった。滋賀県立大学の学生が昨年6月から田の浦に通っているのを聞き、集落の寄り合いで学生の活動報告を聞く機会を設けた。その後、山に囲まれた上丹生と海に面した田の浦、環境は違えど自然と向き合いながら暮らしてきた集落同士として何かできないかと動き始めたのである。

チューリップを植えた後の記念写真(田の浦)提供:田の浦ファンクラブ

 春、上丹生では一大イベント「チューリップ祭」が開催される。毎年約2万株のチューリップを集落総出で世話をして咲かせ、花が満開になるころにお祭を開くのだ。祭当日は地元の人たちお手製の草餅やお総菜などの屋台が出て、遠くからもお客さんが訪れる。今年、その集落あげてのお祭の収益を上丹生の人たちはすべて田の浦に贈ったのだ。当初実行委員は、収益で打ち上げをするのを毎年楽しみにしている皆の顔を思い浮かべ悩んだそうだ。しかし皆の反応は違った。「田の浦に贈るなら、いつもよりもたくさん餅をつこう」と張り切ってくれたのである。後日、祭の写真と直筆のメッセージが添えられた上丹生からの贈り物に田の浦の人たちは「涙が出るようだね」とつぶやいた。
 このチューリップ祭で咲くチューリップには特徴があり、球根は前年の祭で咲いた球根を秋に掘り起こし、各家で翌春まで丁寧に保存してまた次の年も植えるのである。
 今回田の浦に贈られた球根も、そうして一度上丹生の大地で花開き、子どもたちの手で掘り起こされ、おばあちゃんたちの手で大切に保存されてきたものだったのだ。
 11月、寒空の下田の浦の集会所跡地に上丹生の球根が植えられた。無事に植えられたことを聞いて上丹生のおばあちゃんが「お嫁に行ったようだね」と言った。来年の春、上丹生育ちのチューリップが上丹生と田の浦で花開く。春はもうすぐだ。

れん

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