屋根の上の鍾馗さん

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2012年11月26日更新

鈴木達也さん

 そもそも、鍾馗(しょうき)さんとは誰なのか……。
 中国唐代高祖皇帝(在位618~626年)の時に実在した人物である。鍾馗は、科挙に落第し、傷心癒えず自殺したが、高祖が憐れんで科挙合格者とし丁重に葬った。そして、第六代の玄宗皇帝(在位712〜756年)の夢に現れ伝説となった。
   玄宗皇帝が、瘧(おこり)にかかった時、夢に鍾馗が現れ、「虚耗(きょぼう)」と名乗る悪鬼を撃退した。鍾馗は、丁重に葬ってくれた礼だといった。かくして玄宗の病は治癒し、宮廷画家に命じて鍾馗の肖像画を描かせた。以来、この伝説から鍾馗が邪気や悪鬼を祓(はら)うと信じられるようになった。
 鈴木達也さん(26歳)は、「まち遺産ネットひこね」のメンバーと共に『鍾馗さんMAP』を作った。その「言い出しっぺ」である。「まち遺産ネットひこね」は、彦根のまちに残る歴史的な遺産を再発見し、紹介していく市民団体だ。
 鈴木さんは、「鍾馗は中国からやってきた道教の神様です。私たちは親しみを込めて鍾馗さんと呼んでいます。京都をはじめ近畿・東海地方では瓦でできた小さな鍾馗さんの人形を屋根の上にのせる風習があります。鍾馗さんは魔除けの力があるとされているので、家の守り神として大切にされてきたのでしょう」と話す。1年をかけて彦根市内を歩き約70体の鍾馗さんを確認したというから鈴木さんはただ者ではない……。僕は、何年、何十年と鍾馗さんと同じような屋根の意匠「竹生島文様(波兎の文様)」を探してきたから解る。竹生島文様よりは出現頻度の高い鍾馗さんだが、たやすく見つかるものでもない。屋根の上の鍾馗さんではなく『鍾馗さんMAP』が遺産だろうと思う人も少なくないだろう。

花しょうぶ通り商店街 とばや旅館の鍾馗さん

 鈴木さんは歴史学者の小和田哲男氏に憧れて静岡大学に入学、在学中に歴史的景観をまちづくりに活かすことを考え始めたという。郷里彦根に帰り市役所に勤めたのも、何かまちづくりの役にたちたいと思ってのことだった。初めて鍾馗さんのことを知ったのは、2009年彦根景観フォーラムが主催するまち歩きのイベントだった。「夢京橋キャッスルロードの一本山側、かつて寺町と呼ばれていた通りに大信寺というお寺があります。その近くに鍾馗さんがおられたのです。こんなところに……と、衝撃を受けました」という。
 大抵は、集めるだけに終わるのだがマップにすることで、「メインストリートだけでなく、彦根の小さな通りも歩いていただきながら、宝探し気分を味わってもらえたらと思っています。また、何故か、米原の旧近江町以北では発見されていないのです。もしも長浜市で鍾馗さんが発見されたら第一号です」と話す。
 鈴木さんら「まち遺産ネットひこね」の次の企みは、『彦根城外堀MAP』の作成である。「12月20日に、ひこね市文化プラザで行われる『歴史手習塾・彦根城の外堀いまむかし』に間に合うよう作業をしています」。鈴木さんの、その次の企みを聞くのを忘れたが、今、この時も白地図に特別なポイントをプロットしているに違いない。
 ちなみに、鍾馗さんは、町屋の屋根にもあるが、お寺の鬼瓦の向かい側にも多くあるらしい。「鍾馗さんを発見されたら連絡をください」と鈴木さんは呼びかけている。
 彦根の鍾馗さんはほとんど確認されているだろうが、新発見の可能性はある。湖北での発見は難しそうだ。でもやってみたい。そう思った人は僕だけではないはずだ。

『ひこね鍾馗さんMAP』 お問い合わせ

http://www.geocities.jp/machiisan_hikone/

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

小太郎

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