夢京橋あかり館 手間暇文化考
屋根を葺く

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2012年10月31日更新

岩崎長蔵さん

 現代の名工・近江の名工、岩崎長蔵さん(62)は、江戸時代から続く「屋根長」(長浜市石田町)の六代目、伝統的建造物の屋根を葺く技術を受け継ぐ職人である。全国社寺等屋根工事技術保存会常務理事も務めている。
 檜皮葺(ひわだぶき)について話を聞いた。何故、檜皮葺だったのだろう……。多分、僕が竹釘に異様なほど興味を示したからかもしれないし、杮葺(こけらぶき)の「杮(こけら)」という漢字を「杮(かき)」と同じであるという程度の認識しかない人間だったからかもしれない。実際はその成り立ちから異なり、コンピュータの活字も存在しない。「こけら」は、木偏に鍋蓋、そして巾、「かき」は木偏に市である。
 檜皮葺は、杮葺・茅葺など伝統的屋根葺の技法のひとつで、文字通り檜の樹皮を用いて屋根を葺く。 檜を伐採せずに樹皮だけを剥がし整形して用いる。樹皮を剥いでも檜は枯れることはなく、樹皮は再生する。環境にやさしい施工方法である。檜皮を採取する技能者を原皮師(もとかわし)という。
 その檜の樹皮を切ったり繕ったりしながら、いくつかの仕様(屋根の使う部分により、決まったカタチ)に加工していくのが、檜皮師だ。標準的な仕様である「三割落平皮(さんわりおちひらかわ)」は、皮長さ750ミリ、口幅150ミリ、尻幅105ミリ、厚さ1・5~1・8ミリ程の台形に整形していく。檜皮包丁と呼ばれる特別な道具を使いながら、視覚と手の感覚だけで拵えていく。檜皮を葺く作業に比べれば地味で単調な手仕事である。
 檜皮師は、拵えた檜皮を屋根の下側から上に向かって12ミリずつずらしながら1枚ずつ葺いていく。しかも、12ミリずつずらしながら5枚重ねたところで竹釘を打ち込み押さえていく。これを繰り返し屋根を葺いていくのである。屋根の大きさと1枚の檜皮の大きさを思えばその作業の膨大さを想像することができるだろう……。しかし、1枚の檜皮を拵える時間に比べればそれも一瞬である。
 竹釘は10本から15本を口に含み、舌で転がして、先の尖った方から1本ずつ吐き出しながら、専用の金槌で打ち込んでいく(頭は立方体で柄の内側に伏金と呼ばれる金具が付けられている)。檜皮包丁といい金槌といい、ひとつの目的にだけ純化した道具は魅力的である。
 岩崎さんを訪ねた日は、檜皮を拵えておられた。屋根を葺くにも手間暇、屋根を葺くための手間暇……、原皮師の手間暇、鍛錬により生まれる玉鋼の道具、そして竹釘……。普通ではない時間が吹き寄せてくる。岩崎さんは「ただ、ただ、根気仕事です」と言う。岩崎さんは、高校を卒業してから今日まで、そしてこれからも檜皮師である。一人前の檜皮師になるためには2年〜3年が必要だという。
 檜皮の耐久年数はおおよそ長くて40年。言い換えれば40年ごとに葺き替えなければならない。「昔からの決め事を決められたようにやっていくだけです。それが檜皮師で、私たちの受け継ぐということです」と岩崎さんは僕の質問を受け流した。質問というのは「何故、伝統の工法を守らなければならないのか?」。檜皮を重ねる間隔は12ミリであって、11ミリでも13ミリでもない。檜皮の口幅は150ミリ、尻幅105ミリでなければならない。檜皮師はその感覚を身体で覚えている。竹釘も昔は自分たちで作っていたという。真竹を割り釘に整形しそれを煎る。何故そうしなければならないのか……。
 何か新しいコト、或いは個性的でなければならない呪縛から逃れられない現代において、受け継ぐという在り方、「ただ、決められたことを決められたようにしているだけ」というその中においてさえ、誰が葺いた屋根か解るという。名工故の手間暇の文化である。そして、おおよそ1200年の間、決め事から逸脱した檜皮師はいない。


参考

  • 『屋根 檜皮葺と杮葺』原田多加司著・法政大学出版局・2003年

小太郎

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