隧道と村田鶴 佐和山隧道

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2012年6月20日更新

佐和山町側から撮影

 湖東・湖北に大正時代から昭和初期にかけて竣工したいくつかの隧道(ずいどう・すいどう )がある。「隧道」とは、トンネルの古い呼び方だそうだ。湖東・湖北の隧道のいくつかは、美しい意匠を持ち、設計者は「村田鶴(むらたつる)」という人物だった。前回、横山隧道(長浜市鳥羽上町/米原市菅江)の記事を書いた。大正8年(1919)着工、大正12年(1923)に完成した隧道だ。
 横山隧道と同時に建設が決まり、村田鶴が関わった最初の隧道が佐和山隧道(彦根市佐和山町/鳥居本町)で、『新修彦根市史第三巻』、535頁に「佐和山トンネルの開通」として記述がある。
 『彦根町と旧中山道沿いの鳥居本村とを結ぶ朝鮮人街道は、明治時代の早い時期に仮定県道に編入された主要道路であったが、佐和山付近には「切り通し」と呼ばれる急勾配が存在し、馬車や荷車による輸送上の難所となっていた。そのため、トンネルを掘削して勾配を緩和するという構想が古くからあったが、その建設費用が膨大であることから、たびたび頓挫してきた。』
 県道名の朝鮮人街道は、大正9年(1920)に旧道路法が施行され「大津福井線」という名に変わった。経費は、大正5年(1916)に鳥居本出身の寺村庄三郎が1万円の寄付を申し出たことで急展開し、県営工事として施工されることになった。竣工は大正13年(1924)、延長約160メートル、幅4メートル、高さ7・5メートル。昭和30年(1955)新しいトンネルができ廃道となったが、隧道は今も存在している。
 設計者村田鶴は、滋賀県の数々の名隧道を設計し、『“道”を拓いた偉人伝』(永冨謙著 イカロス出版・2011年)では、村田鶴を5人の偉人のひとりとして取り上げ、佐和山隧道は『近代土木遺産Cランク(国登録有形文化財や区町村指定の文化財に相当するもの)に認定されている』と記している。

扁額には「宮容妙門」

 今回は、佐和山町側からしか撮影できなかったが、その場所だけ竹藪が整備され草も刈られていた。山の中でひっそりとその姿を留める隧道は美しい。いずれ鳥居本町側からも撮ってみたいと思っている。
 ところで、文化庁によると近代化遺産とは、『幕末から第2次世界大戦期までの間に建設され、我が国の近代化に貢献した産業・交通・土木に係る建造物』であるとしている。
『滋賀県の近代化遺産ー滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書ー』(2000年)に、横山隧道(長浜市鳥羽上町/米原市菅江)、観音坂隧道(長浜市石田町/米原市朝日・昭和8年竣工)、谷坂隧道(長浜市小室町/郷野町・昭和10年竣工)は掲載され、設計者として村田鶴の名があった。しかし、何故か佐和山隧道は記されていない。2000年以降の調査を僕が知らないだけかもしれないが、村田鶴の設計でもあり、立派な近代化遺産だと思うのである。

参考文献

  • 『新修彦根市史 第3巻 通史編 近代』編集 彦根市史編集委員会・発行 彦根市(2009年)
  • 『滋賀県の近代化遺産ー滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書ー』滋賀県教育委員会(2000年)
  • 『“道”を拓いた偉人伝』永冨謙著 イカロス出版(株) (2011年)
  • 小太郎

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