隧道と村田鶴 横山隧道

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 米原市 2012年6月4日更新

横山隧道米原市側

横山隧道長浜市側

 トンネルは魅力的である。それを抜けた時に現れる新しい世界にいつもワクワクする。そういえば、子どもの頃も、ジャングルジムでも、土管でも穴を抜ければ向こう側にはいつも別世界が広がっていた。紙を丸めた筒だって同じである。
 一ヶ月ほど前、彦根の佐和山の裾野にある仏生山(むしやま)トンネルの話をした。昭和31年まで実際に使われていたもので、竹生島の弁才天のもとへ通う龍神のためにできたという話が残っている。以来、トンネルがお気に入りだ。いろいろ、調べていたら湖東・湖北に大正時代から昭和初期にかけて竣工したいくつかの隧道(ずいどう・すいどう / トンネルのこと)があることが判った。そのいくつかの隧道は、美しい意匠を持ち、設計者は「村田鶴(むらたつる)」という人物だった。
 彼の設計のひとつ、横山隧道(長浜市鳥羽上町 / 米原市菅江)へ行ってきた。大正8年(1919)着工、大正12年完成。平成13年(2001)、「横山トンネル」が開通するまでこの隧道は現役だった。僕が訪れた時には、隧道への道は通行止めとなり閉ざされていた。
 米原市側から隧道入り口まで歩く……。途中に真新しい石碑があった。『横山隧道創始者 高森慶多郎之碑』。高森慶多郎は明治5年(1872)2月26日に東黒田村に生まれ、28歳の時に横山峠の改修・隧道建設を決意。県議会に要請を繰り返し、大正8年にようやく実を結んだが、慶多郎自身は完成を見ることなく病没したらしい。石碑は記憶を留める装置として、振り返ろうとする者にとって実にありがたい。
 村田鶴設計の隧道、その入り口に立つ……。全てが煉瓦でできている。独特のデザインらしい。
 山肌にぶつかる風の通り道なのだろう、長浜側から吹き抜ける風が強く冷たい。約160メートル先の向こう側は見えているが既に、内部の照明は取り外され、歩ききる自信はなかった。僕は後悔していた……(歩いたさ)。
 長浜側にも、大きな石碑が建っていた。『横山隧道碑』。そこにも村田鶴の名前はなかった。
 トンネルを調べ始めて、村田鶴の名を知った。『滋賀県の近代化遺産ー滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書ー』に、設計者として村田鶴の名があった。幸いにも『”道 を拓いた偉人伝』(永冨謙著・イカロス出版株式会社・2011年)には、『明治時代から昭和にかけて活躍した土木技術者である。埼玉県庁や滋賀県庁などに勤め、特に滋賀県では美麗な道路隧道の数々を設計した。その多くが、日本土木学会が選定する「近代土木遺産」に指定され、国重要文化財に匹敵する価値があると評価されている』と記されていた。横山隧道の他、観音坂隧道(長浜市石田町 / 米原市朝日・昭和8年完成)、谷坂隧道(長浜市小室町/郷野町・昭和10年完成)。この二つは今も現役のトンネルである。
 そして、佐和山隧道(彦根市佐和山町 / 鳥居本町)である。見ておかなくてはと思った。『隧道と村田鶴』をしばらく、追いかけることになるだろう。

小太郎

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