波兎に呼ばれる!

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 湖北町 2012年4月30日更新

社左側の竹生島文様
右側も同様の彫り物がある。野田神社の御祭神は少彦名命・受保命。波と兎といえば大国主命である。少彦名命は、大国主命と共に国造りをした神様である。その関係からこの文様が社殿にあるのかもしれない。

 信じられないかもしれないが、本当の話だ。波兎が僕を呼んでいる。僕は、波間を跳ぶ兎のキュートな文様に魅せられコレクションしている。DADAの読者の方ならばよくご存知だと思うが、この文様の別名は「竹生島文様」という。
 ようやく春めいた一日、予定していた午後の仕事がキャンセルになり、暇に任せて取材に出かけることにした。目的地は湖北町河毛。切支丹灯籠の写真を撮る……。
 そして陽気に誘われ、林道を走り草野川流域の寺師町へ出て、谷坂隧道を郷野側から小室へと抜けた。小谷山を一周するような感じである。ほ場整備が終わった水田が広がり水が入ると空を映す美しいところである。
2012年5月21日の金環食のことを思った…。
 野田神社(長浜市野田町)のタンポポの写真を撮って境内に入ると、お社の前に足利尊氏が観応元年(1350)に奉納した宝篋印塔があった。古い神社である。
 ここで呼ばれた……。

足利尊氏が奉納した宝篋印塔
「南北朝時代の観応元年(1350年)、足利尊氏は弟の直義と不和になり、尊氏は浅井郡湯次野に直義は八相山(現在の虎御前山)に布陣し戦となった。いわゆる八相山の戦争である。尊氏はこの戦に臨むにあたり当神社の神威を聞き祈願をこめて修営料を附し宝篋印塔一基を奉納した。」(説明板より)

 社の左右にそれぞれ竹生島文様があった。兎が波間を跳んでいる。
 この文様には、原則みたいなものがある。前方を見ている兎と、後方を振り返る兎がセットになっている。そこに月が加わる場合もある。
 野田神社の文様は満月と三日月が社の明かり取りのためだろうかデザインされている。久しぶりに美しい波兎だった。
 世間では鍾馗(しょうき)さんが静かな人気で、『鍾馗さんを探せ!!~京都の屋根のちいさな守り神~』(小澤正樹著・淡交社刊・2012年)が話題になっている。鍾馗さんの図像は魔よけの効験があるとされ、屋根の上に鍾馗の像を載せたりするのだが、湖東・湖北でも時々見かける屋根の意匠だ。
 波兎だって屋根の意匠に使われている……。僕はこの日、波兎に呼ばれた! コレクションをまとめなさいということなのだろうと納得した。

 

小太郎

DADA Journal 内の関連記事
スポンサーリンク
関連キーワード