湖北の切支丹灯籠

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 湖北町 2012年5月9日更新

 以前のDADAに「湖北のキリシタン灯籠」の記事がある。面白いテーマだと思った。
 『織田信長はキリスト教布教に寛大だったが、信長の後を継いだ豊臣秀吉はバテレン追放令を出し、宣教師を国外追放。徳川の世となるとキリシタンへの弾圧と迫害はさらに強まり、幕府は踏み絵を強制するなどキリシタン狩りを行った。しかし熱心な信者は密かに信仰を続け、その礼拝対象となったのが、キリシタン灯籠であり、マリアに見立てた観音像だった。
 キリシタン灯籠は、竿石と呼ばれる灯籠の支柱に当たる部分が十字形になっている。竿石の下部にキリストやマリア像が彫られていることなどが特徴だ』。長浜市国友町「因乗寺」、虎姫町大寺(個人宅)の2基を紹介している。いずれも竿石の下部に像が彫ってある灯籠だった。

 友人の田中家石材の田中さんに『切支丹灯籠の研究』(松田重雄著・株式会社同信社発行・1969年)という書籍を借りたのもその頃だ。そこには、ラテン語が伏字となっている文様が刻まれた切支丹灯籠があり、ラテン語のPATRIのPTIで「父」を意味していることなどが記されていた。しかし、その文様の意味の究明は長年成されているが、今尚謎に包まれている。僕には、知識の不足は否めず、謎の解明の理論を理解できなかった。とりあえず実物を見てみたいと思っていた。忘れなければ、思い続ければ実現する……。
 長浜市湖北町河毛の泉龍寺にそれはあった。竿に文様が刻まれている。「」が謎の文様である。
 泉龍寺の門は『伝小谷城裏門』であるという説明があった。『泉龍寺の過去帳に「當寺本堂門ハ往昔小谷城浅井長政公ノ裏門ニテアリシ」とあり、小谷城の裏門であったと伝えられている。また、当初茅葺きであったが、瓦葺きに改造されたことが記されている。

 屋根は記録どおり葺き替えられているが、その他は古く戦国時代のもので、柱や戸の風化、金具からもその時代を感じさせられる。
 小谷城の建物については明らかではなく、伝えるこの門は貴重な資料である。湖北町教育委員会』
 浅井長政の姉の京極マリアのことを思った。天正9年(1581)、安土城城下でオルガンティノ神父より洗礼を受け、天正15年(1587)、豊臣秀吉が発したバテレン追放令以降も信仰を貫いた女性である。 伝小谷城裏門と切支丹灯籠とは関係はないだろうが、小谷城で生まれた京極マリアと切支丹灯籠……、そして、ふらふらと導かれるように泉龍寺を通った僕である。「湖北の切支丹灯籠」、新たなる導きと展開があるに違いないと信じて疑わない。

小太郎

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