大河のふるさとを巡る
大坂城の遺構 竹生島唐門

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2012年3月30日更新

竹生島

 1996年のオーストリアである発見があった。エッゲンベルグ城に飾られていた壁画が、豊臣時代の大坂を描いた屏風絵だったことが判明したのだ。そこには大坂城の様子も詳しく描かれており、本丸と二の丸の間にかかる「極楽橋」が見てとれる。極楽橋はちょうど400年前の慶長元年(1596)に建造され、慶長5年(1600)、秀吉の亡骸を葬った京都の豊国廟へ移築され、「極楽門」となった。
 慶長7・8年(1602・03)、秀吉の子秀頼は、その極楽門を竹生島に移築している。現在ある「国宝・宝厳寺唐門」こそが、大坂城の「極楽橋」だったのだ。豊臣家滅亡後、大坂城は徳川幕府によって再築されたため、豊臣大坂城の貴重な遺構が竹生島にあるということになる。
 最近、「長浜・戦国大河ふるさと博」の噂を耳にする。昨年開催された「江・浅井三姉妹博覧会」を引き継ぐイベントである。湖北地域に点在する戦国時代ゆかりの地が「小谷・浅井」「賤ヶ岳・木之本」「竹生島・長浜」の3つのエリアに分けられ、各エリアの史跡を「野外博物館」として体感できるようになっている。おすすめのルートを紹介しよう。

国宝・宝厳寺唐門

 まずは「小谷・浅井」エリア。江ら浅井三姉妹の父・長政は、その父、祖父と3代にわたり小谷城を居城とし、江もここで生まれた。長政が織田信長と戦った姉川の合戦、落城した小谷城から三姉妹が逃れた伝説などが「戦国大河あざい館」で詳しく紹介されている。続いて「賤ヶ岳・木之本」エリア。信長亡き後の後継を巡って、秀吉と柴田勝家は余呉から木之本一帯で争った。賤ヶ岳頂上からは双方の砦などの位置が確認できる。さらに「竹生島・長浜」エリアの「ながはま会場」へ。ここでは石田三成と関ヶ原の合戦にスポットをあてている。秀吉の忠臣・三成は徳川家康と反発し、西軍を率いて合戦に挑む。このルートは歴史の時間軸に沿ったものだ。
 そして、竹生島へ……
「日本の戦国中期以降の歴史は、北近江の戦国の歴史とほぼ重なります。秀吉が築いた大坂城が家康に攻め落とされたときを乱世の終焉だと捉えると、その遺構である唐門は、北近江の戦国の終わりをも象徴する建造物です。博覧会名の『大河』という言葉には大河ドラマゆかりの地、琵琶湖、そして日本の戦国史の主流という3つの意味が込められています。大河のふるさとがここにあるのです」。実行委員会事務局の野澤達也さん(35)が説明する。
 しかし……、もうすぐさわやかな季節がやってくるとはいえ、竹生島まで湖を渡るのは少し気合いが要る。神々の島だからそう容易く何度もたどり着けるわけはない。考えてみれば、何度も竹生島へ行くことができないからこそ、今、この機会に大坂城の遺構としての、唐門を観ておきたいのである。

 

長浜・戦国大河ふるさと博

2012年12月2日まで

小谷・浅井エリア
小谷城野外博物館会場(小谷城戦国歴史資料館)、戦国大河あざい館(浅井歴史民俗資料館)、戦国の駅おみやげ館

賤ヶ岳・木之本エリア
賤ヶ岳野外歴史博物館会場、戦国大河きのもと館(きのもと交遊館)

竹生島・長浜エリア
竹生島野外博物館会場、戦国大河ながはま館(パウ2階)、曳山博物館

※入場料は各会場によって異なります。

お問い合わせ

博覧会実行委員会事務局(戦国ガイドステーション)
TEL: 0749-78-0300
http://www.azai-go.jp/

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

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