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正反対の勘違い

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2012年2月27日更新

 最近は、ツイッターやらフェイスブックやらで、わらわしている。「あたふた」ではなく、「わらわら」である。友人は絶対にツイッターやらフェイスブックをしないと固い決心をしている。それもまた良い選択であると僕は思っている。タイムラインを流れるつぶやきに酔うこともなく、一人はひとりの思考のまま眠りに落ちる……。
 先日、タイムラインに『「挑」と「逃」なんか似てるな……逃げることと挑むことって本当はちょっとした違いなんだよ、きっと。勘違いしてるんだ。きっと正反対に』と書き込まれていた。エディターズフリーキックの場所で紹介しようと思ったから、フレーズを使わせてもらうことを伝えた。正反対の勘違いとはよく言ったものだ。
 逃げたっていい。逃げるにも挑むのと同じくらいエネルギーが要る。「辶」と「扌」の違いはあるが、そこにはどちらも未来の「兆し」があると……考えていたら気がついた。逃げるには「道」を逃げる。挑むは「手」で挑む。「道」を逃げることをしなければ、それはもう「挑む」ことでしかない。
 スマートフォンも手に入れた。キーボードが小さくて打ち間違いをする。字も小さいけれど気合いで読んでいる。これも老いの兆しだろう。
 それと気づいていないだけで僕らの周りにはそれこそ多くの兆しがある。そのひとつひとつに心が動いた頃もあった。それがどうだ……何もわからない。キーボード叩いて突き指して、これじゃーねとようやく納得する。春の兆しはある。ならば道なき道を精一杯わらわらと逃げてみるかなと。そこには案外、豊かな眠りがある……。

小太郎

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