あれこそ聞こえ候ふ竹生嶋にて候へ
白龍現る!

源平ゆかりの地—竹生島

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2012年1月16日更新

 平家の台頭から没落までを書いた「平家物語」(巻7)に、竹生島を舞台にした話がある。平経正(つねまさ)が、木曽義仲討伐に赴く道中に竹生島を訪れる「竹生島詣」だ。経正は平清盛の甥で、平家一門のなかでも詩歌管弦に優れ、琵琶の名手として知られた人物だ。
——木曽義仲討伐のために、平家の兵たちは北陸を目指していた。隊の将軍である維盛、通盛は先に進んでいたが、副将軍であった経正、忠教らはまだ近江にとどまっていた。経正は湖岸から見える島を見て、家臣に「あれは何という島か」と尋ねたところ、「あれが名高い竹生島です」と教えられ、小船で竹生島参詣することにした。

琵琶のバチ / 竹生島宝厳寺

 竹生島に上陸した経正は弁才天を参拝したのち、住み込みの僧に請われて、琵琶を弾いた。経正が琵琶の秘曲を奏でると、あまりに素晴らしい音色にだろうか、経正の袖元に白龍が現れた——。
「当時、京の都ではここに参詣すれば願いが叶うと、竹生島の弁才天信仰は有名で、経正は戦勝祈願のため竹生島に渡ります。一方で、詩歌管弦に長じ、とりわけ琵琶の名手であった経正の噂は竹生島にも届いていました。僧たちは、経正の演奏をぜひ聴いてみたいと、『仙人の琵琶』と伝わる島の宝物でもある琵琶を手渡して演奏してもらったのです」。
 竹生島の歴史文化に詳しい高月観音の里歴史民俗資料館の北村大輔さん(47)が教えてくださった。
 経正が弾いた琵琶は、中世の火災で焼失してしまったそうだが、バチは今も竹生島に遺されている。
——竹生島明神の霊験をあらたかにした経正は、義仲討伐の勝利を確信し、歌を詠む。「ちはやふる 神にいのりのかなへばや しるくも色の あらはれにける」(神に祈った願いが叶えられたのか はっきりとしるしが現れたことだ)。一行は竹生島を後にし戦地へと向かったのだった——。

平経正像(絵馬)/ 竹生島宝厳寺

 「経正は、義仲を討つための戦闘に向かっていて、しかも隊列に遅れているわけだから、本来なら竹生島に立ち寄っている場合ではなかった。けれど当時の名高い観光名所をどうしても見たいという感覚だったのでしょう。経正をはじめ平家の人々は、最後まで貴族的な、雅な感覚というのが抜けなかったのでしょうね」と北村さんは推測する。
 義仲との戦いはどうだったのか。富山県と石川県の境の倶利伽羅峠で平家は大敗。経正は、その後の一ノ谷の戦いで命を落とした。
 ちなみに、平経正が琵琶を奏した場所は、現在の都久夫須麻神社拝殿だと伝えられている。神仏をも感動させる音楽を奏でなければならないが、辰年の今年は、いざ、竹生島へ……。

参考文献

  • 「平家物語(七)」杉本圭三郎全訳注  講談社
  • 「戦国武将の竹生島信仰」長浜市長浜城歴史博物館執筆・編集 竹生島宝厳寺発行
  • 「神を斎く島のメモリー 竹生島」びわ町観光協会刊

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