淡海の妖怪 年末編

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2011年12月21日更新

 12月3日・4日、彦根ゴーストツアー「黒い烏の章」が行われた。見えないモノを『ゴースト』と位置づけ、現世と幽世の狭間を巡る旅である。キャッチコピーは、『Don’t think .....Just FEEL IT!』彦根市後三条町の長久寺「お菊の皿」、犬上郡多賀町の真如寺「地獄絵図(十王掛図)」、多賀大社の「お日供祭」「先喰烏・先喰台」を巡った。僕も、勿論参加した。思ったことは「闇の濃さ」だ。闇の濃度が神聖さを感じるには必要だということだ。同じく「怪」を感じるにも闇に左右される。瞼を閉じると闇が支配するが、瞼はわずかだが光を透過している。かつての闇と現代の闇は異なっている。そして、伝承や儀式が今もそのまま残り受け継がれているのは、何かしらのより強い意味があったということである。意味があったこと自体が今は忘れられていることが多い……、現代に残された現世と幽世の狭間は年末のトイレ(厠・便所)だなと……考えていた。
 かつて、現世と幽世を結ぶ道が厠にあると考えられていた時代があった。故に神様(妖怪)が今もそこにいる。
 最も近親感のあるのが烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)だ。毎年、大晦日から新年にかけてトイレのお札を新しくする家も多いだろう。烏枢沙摩明王は炎の神様で、この世の一切の汚れを焼き尽くすとされ、不浄を清浄と化す明王である。故に、烏枢沙摩明王は不浄な場所に祀ることになっている。厠は、現世と幽世を結ぶ道なのだから、怨霊や悪魔の出入口でもある(そういう思想があった)。烏枢沙摩明王の炎によって清浄な場所に変えていただこうという信仰が、お札の神力を頼みとするカタチで残っているのである。
 そして、最も有名な妖怪はガンバリニュウドウだろう。漢字は「加牟波理入道」あるいは、「雁婆梨入道」と書く。江戸時代に信じられていた厠の妖怪である。
 江戸時代の浮世絵師鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』には、厠の脇で口から鳥を吹き出しているような姿で描かれており、『大晦日の夜、厠に行きて「がんばり入道郭公(ほとゝきす)」と唱ふれば、妖怪を見ざるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠神の名を郭登(くはくとう)といへり。これ遊天飛騎大殺将軍とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日の談なるべし』(『鳥山石燕 画図百鬼夜行』国書刊行会)と石燕は記している。
 要するに大晦日の夜にトイレに行って「ガンバリニュウドウ ホトトギス」と言えば、新しい年に加牟波理入道は出て来ないというわけである。
 ところで、同書の解説には『郭登(かくとう)は明の武将。しかし、厠の神なら、紫姑神(しこじん)の方が知られる』とある。紫姑神とは、日本の厠の神様のルーツとなる神様だが、中国の話である。様々なバリエーションがあり、だいたいのストーリーは次のようなものである。『言い伝えによれば、県知事が、何眉(かび)という女性を迎えたが本妻がそれを妬んで、旧暦の一月十五日に便所で何眉を殺害した。後に何眉の死を哀れんだ人々が、正月ごとに便所の神として何眉を祀るようになった。』
 年越しに便所神を祀るという風習は紫姑神からということになるのだろう。古く節分の夜を年越しとし、便所の神様を祀る風習もあったらしい。そういう意味では、「カイナデ」という妖怪が節分に現れるのも紫姑神をルーツとするからだろう。「カイナゼ」とも呼ばれるが、節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」と呪文を唱えればいいらしい。
 ところで、トイレに出没する妖怪が後を絶たない。有名なところでは「トイレの花子さん」がいる。学校の怪談として80年代から子供たちの間で語られ、多くは小学校の便所に現れる妖怪である。地域ごとに違いがあり、小学校のある特定の便所に現れ、「はーなーこーさーん」と呼びかけると返事をするパターンが多い。返事をするだけのもの、「赤い紙」の問いかけをしてくるもの、トイレに引きずり込もうとするものなど、様々である。
 時代は変わっても、現世と幽世を結ぶ道がトイレ(厠)にあると、なんとなく感じているからだろうか、この場所は神を祀る場所であり、怨霊や悪魔の通り道であることに変わりはないようだ。

淡海妖怪学波

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