深い緑と惟喬親王祭

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 東近江市 2011年8月24日更新

 7月18日、僕は深い緑の中にいた。大きな台風6号が接近し、ざわざわと雨がまじっていた。なでしこジャパン優勝の話題で日本中が盛り上がった日だ。
 昔、湖東3ダム巡りを友人と志したことがあった。オフロードバイクが健在だった頃だ。永源寺ダム、宇曽川ダム、犬上ダムを同じ道路を通らずに巡るというものだ。何度も試みたが未だ果たせていない。理由は道草にある。僕にはよほどの決意が無い限り湖東3ダム巡りを果たすことはできないようである。
 深い緑の中、「惟喬親王祭」(東近江市蛭谷町)の神事が執り行われていた。予想通り3ダム巡りを忘れることになった。
 まず、惟喬親王である。
 承和11年(844)に第56代文徳天皇の第一皇子として誕生。天皇になるべき立場にあったが、権勢を誇る第四皇子(後の清和天皇)との皇位争いにより都落ちしひそかに旅に出て、近江の湖東愛知川上流、小椋谷の里を安住の地とした。親王を匿い、寂しい心を慰めようとした里人に、親王は茶の栽培方法、薬草の知識など、様々な生活の知恵を伝えた。 また、中国伝来のロクロを活かした、盆や椀などの木地製作の技術を伝え、君ヶ畑は木地師発祥の地として知られている。

 「惟喬親王祭」は、今年で19回目となる。舞の奉納、記念講演、語り芝居……、時折の豪雨。蛭谷の筒井神社の氏子狩帳にある若狭・伊勢・美濃・伊予などの匠の末裔の方々だろう、全国から集まった今もロクロに携わる人々約200人のなかの一人に僕はなった。
  緑の中に建つ偉大な親王の像がある。刻まれた惟喬親王奉賛会趣旨は次のような文章で始まっていた。
『1980年来は、国内経済、社会、更に、国際的にも好ましくない事態が交錯して国民は新たな自覚のもとに奮起せねばならない出発の時代であることを神は御示しになっている』。
 今もまた事情は違うが『国民は新たな自覚のもとに奮起せねばならない出発の時代』、不必要な道草はないのである。
 なおらいに誘われたが、僕は惟喬親王が小椋谷に幽棲された「君ヶ畑」まで行くことにした。緑の中を走りたかった……。
 そして、そこで「ろくろと萬年筆」と書かれた碑と燈籠に刻まれた「波うさぎの文様(竹生島文様)」に出会うことになるのだが、これはまた別の話だ。道草はやっぱり素敵である。

 

雲行

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