江展望 2011
三姉妹の兄弟・万菊丸を知る

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2011年4月15日更新

福田寺 浅井御殿

 大河ドラマでは触れられていない、江の兄弟についての話がある。歴史の断片の数々が繋がる瞬間を期待しながら、大河ドラマから始まり深まってゆく興味を、湖北を歩きながら紡いでいる。春……、長澤御坊福田寺に至った。
 『寛政重修諸家譜』の藤原氏浅井系図によると、浅井長政には万福丸と万寿丸(万菊丸とする文献もある)という子がいたことになっている。この2人が市との間に生まれた兄弟なのか、側室の子であったのかは見解がわかれている。『信長公記』で小谷城落城時10歳だった万福丸は、信長の命によって殺害されたとある。一方、次男の万寿丸は福田寺の12世住職になったとされている。
「寺伝では、長政と市の子で万菊丸という名です。小谷城落城のとき、2人の家臣と乳母に連れられた万菊丸がここを頼って来ました。日中は琵琶湖岸の葦の中に姿を隠し、暗くなってからたどりついたそうです。このとき万菊丸は生後3ヶ月だったそうです」。現住職の大谷照典さんが教えてくださった。
 万菊丸は、さらに福田寺の末寺である安相寺(長浜市西浅井町菅浦)にかくまわれ、成人してから福田寺に戻り「正芸」の名で後を継いだという。「出家したのちも万菊丸と淀殿(茶々)は交流がありました。正芸は夏の挨拶として敦賀の焼き鯖を送り、その礼状が届いていたことも記録にあります」。
 万菊丸は50代でこの世を去ったそうだ。
 ところで福田寺には浅井御殿と呼ばれる書院(滋賀県有形文化財)がある。小谷城の下屋敷の遺構と伝わるがその経緯はわからない。浅井氏と福田寺との縁の深さを推測するばかりである。「長浜には浅井家の菩提寺・徳勝寺がありますが、戦中までそこのお厨子の鍵は福田寺が管理し、開帳するには鍵を借りに来てもらわないといけませんでした。これも浅井家とのつながりの深さを示しているのでしょう」。
 また、いくつかの歴史の断片が、心の深くに落ちたようだ。静かに……。

長澤御坊 福田寺

滋賀県米原市長沢1049 / TEL: 0749-52-1181
拝観時間については問い合わせ
拝観料 500円
浅井御殿は老朽化につき、内部拝観は当面できない。

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

青緑

スポンサーリンク
関連キーワード