真田幸村の娘と彦根

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2009年11月30日更新

少林禅寺の石碑

 話は今年の夏に遡る。
 彦根に少林禅寺というお寺があることを知り、盆休みの最中に出かけた。彦根の鳥居本側から山に入り、野田山へ抜ける山間にある笹尾という集落だ。
 『滋賀県の地名』(日本歴史地名大系25・平凡社・1991年初版)には『小野村・原村の東に位置する霊仙山中の村。』とあり、『臨済宗妙心寺派少林寺』『少林寺の本尊木造観音菩薩像は平安時代の作で国指定重要文化財。』と書かれている。「少林禅寺」ではなく「少林寺」と書かれている……。これは何かあるに違いない!思い立ったが吉日、下調べもせず車を走らせた。長閑だった……。
 少林禅寺は中国の少林寺と何らかの関係があったと聞いた。ジェット・リーが主演した映画「少林寺」や、サッカーや少女にも「少林」と冠がつくあの嵩山少林寺のことだろうか……。後は、帰って調べるだけである。
 ところがである。インターネットのブログで「少林禅寺に真田幸村の娘の墓」があるとの記事を数日前に読んだ。

幸村には9人の娘が居たと言われています。この中で8女と9女の行方はよく分からないのですが、その多くは先の人生が伝わっているのです。

(中略)

ちなみに、彦根の笹尾町にある少林禅寺には彦根藩士に嫁いできた真田幸村の娘の墓が残っています。しかし、今分かる限りでの7人の娘の中に彦根藩士に嫁いだ娘の記録はありませんので、8女か9女が彦根藩士に嫁いできたのでしょうか?これからの研究に期待されますね。
5月7日、天王寺口の戦い - 彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)より引用

真田幸村の娘・笹尾・彦根の3つの言葉で検索すると表示される。

彦根市笹尾町 少林禅寺

 真田昌幸は武田信玄の側近である。また、天正10年(1582)、武田家が滅びた後の甲斐・信濃を手に入れた徳川家康は、武田の家臣74名を直政の家臣とし、武田の軍法や武田家飯富虎昌隊の「赤備え」を継承するように命じている。
真田家と井伊家家臣は全く無縁ではない。
 彦根市文化財課に問い合わせてみたが、「真田幸村の娘の墓があるという話は聞いたことがない」という。ブログはマニアックだが、とても真摯に書かれている。何らかの根拠があるに違いない。
 僕は、「真田幸村の娘の墓」のことを書いた人に是非、会ってみたい。そして、再び、笹尾へ行く。
 石田三成は大垣城を出陣して関ヶ原へと向かい、笹尾山に本陣を据えた。この地名の一致も何故か偶然ではなかったりするのかもしれない。

「少林禅寺」「真田幸村の娘の墓」について情報をお待ちしております。

編集部

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