戒壇巡り
漆黒の世界、真の暗闇を歩く

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 木之本町 2009年9月24日更新

木之本地蔵院

 『御戒壇巡りは、これまでの自分自身を省みて積み重ねた罪障を取り除くための精神修養の道場です。御本尊の御厨子の下を巡る長さ三十一間の回廊は真の闇で、その漆黒の世界を一歩一歩静かに進んで下さい。』と書かれた説明板があった。戒壇巡りは平成18年春に始まったらしい。冥加金300円。積み重ねた罪障を取り除くことができるならと、戒壇を巡ることにした。「戒壇」とは、様々な意味があるが、仏法をおさめる重要な場所のことをいう。
 現代、「真っ暗」という言葉はたとえとして使うが、闇を経験することは無いと言っていい。
 戒壇巡りは目を開けていても、閉じていても同じ濃い闇が広がっていた(実際の闇には濃淡があるらしいが……)。闇を一歩一歩進む……。「おんかーかか びさんまえい そわか」と地蔵菩薩真言を称えながらと思っていたが、闇に雑念を払い、神経を研ぎ澄ます余裕はなく、僕は、慣れない闇に戸惑った。
 『六つ目の角をまがった先にお地蔵様の御宝印が蔵められています。それを封じた錠前は御本尊の木之本地蔵大菩薩の御手と結ばれています。』
 何とか、御宝印の錠前に触れ、再び明るい世界へ戻ってくると、境内の大きなお地蔵様が目に映り、元の世界に戻ってきたことに安堵した。
 木之本地蔵院の御本尊は秘仏である。境内の大きな地蔵像は本尊の姿を写したものだ。そして、戒壇巡りは錠前を通して秘仏と繋がることができる……。ちなみに、お地蔵様は、現世の願いごとを叶えてくださる仏様だ。
 戒壇巡りを精神修養の道場とするには、闇にもう少し慣れる必要がありそうだ。闇への畏れと、未知への高揚感が混在して落ち着かないのだ。真言を心の中で称える余裕くらいは持ちたいと思っている。
 戒壇巡りは右側の壁に触れながら、ゆるゆると前へ進むのだが、壁に触れていなければ、闇は無限にひろがっている。そして、自分が真っ直ぐに立っているのかどうかさえ怪しくなる。
 ただ、錠前に触れたあたりから、気持ちの一部分で「暗闇も落ち着くかもしれない」と思い始めたのも事実だ。あのままじっと動かずにいれば、新しい経験ができたのではないかと思っている。

木之本地蔵院

滋賀県木之本町木之本944 / TEL: 0749-82-2106
参拝時間 8:00〜17:00
御戒壇巡り 冥加金300円

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

雲行

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