杉野時間、千年を生きる

大亀山 南卦寺の秘仏、十一面千手観音菩薩

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 木之本町 2009年8月23日更新

 それは偶然だったが、二人の方から別々にご案内をいただいた。「杉野の南卦寺(なんけいじ)で秘仏のご開帳があります。33年に一度です。『秘』というのがお好きでしょうから、ご案内いたします。」僕は、「秘」がよほど好きに見えるらしいが、これもご縁と、8月15日早朝、車を走らせた。
 杉野は岐阜県境近く、横山岳の登山口として知られる山間の美しい集落である。大亀山南卦寺は、集落から更に山を分け入ったところにあった。20分ばかりの急峻な山道に、息絶えた……。不覚だった。

 ぽっかりと開けた平地には、既に大勢の人が集まり午前9時30分、法楽が始まった。お稚児さん、雅楽、読経……、不思議な雰囲気である。
 縁起によると観音様は『桓武天皇の御代(782〜803年)に伝教大師が、ご来遊されて奉安された』らしい。
 杉野の人々はここに集い、変わることをせず同じように、ご開帳を勤めてきた。1200年も前から……33年ごとにである。
 カメラを構えていると、人々の話が耳に届く。切れ切れの単語を積み重ね、組み換えていくと、何とか状況が、解ってくる。
 33年振りに山の上で再会した人がいること、前回は雨が降っていたこと、誰かがまだ登ってきていないこと、模擬店やバザー、金魚すくいのイベントが行われていること。観音様は、十一面千手観音で化粧をされ、色彩は今も鮮やかだということ……。
 山の上での昼食、餅まきがあり、午後1時30分から門閉のお勤め、午後3時下山となる……。僕もお堂の中に入り、お参りさせていただいた。もう一度お会いするための33年が僕に必要になった瞬間である。ただ、僕には33年という歳月が上手に理解できなかった。一生のうちで、健康であれば2度、長生きして3度、4度目はまず無い。法要が終わり山を下りる時、誰もが自分の年齢+33の足し算をするのだろうと思った。

 午後4時、杉野中区の薬師如来も33年に一度の本開帳が行われるという。山の日没は早く、既に暗くなり始めている。
 三三五五、人々は薬師堂に集まってくる。33年に一度の一日を杉野の人々は大袈裟でもなく、大儀にでもなく、誰もが淡々とその日を過ごしているように見える。「今年は33年目ね」といった感じだ。杉野の人々はわざわざ33の足し算をしないのかもしれない。勿論、33年目に居合わすことは、とても有り難いことには違いない。しかし、これは100%多分だけれど、集落としての時間、暮らしの中に「杉野時間」という特別な流れがあるのだと思う。

 今年は1200年の間でたまたま巡ってきた33年目で、これからもずっと33年目がある……。人が生きる単位で勘定などしていないのだろう。もうそこには「秘」も存在しないのかもしれない。本当に僕は不覚だった……。

小太郎

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