湖東・湖北 ふることふみ 46
川瀬太宰の妻

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2018年7月13日更新

川瀬太宰邸址(大津市)

 山本周五郎の短編集『日本婦道記』の完全版が文庫化された。戦中戦後に武士の妻を主人公にした女性の生き方を描いた作品であり直木賞候補にもなったが、周五郎自身が受賞を辞退(山本周五郎は文学賞の受賞を生涯辞退し続けた)したため幻の直木賞作品とも言われている。完全版と言われるのは婦道記の意向でありながらシリーズに組み込まれなかった作品も収録したからだとされているが、元来の婦道記に幕末の近江に関わる一編が収録されている。それが川瀬太宰の妻「幸」である。
 幸は彦根藩医飯島三太夫の娘として誕生する。三太夫は井伊直弼が自ら開いた茶の湯の流派「宗観流」で直弼の弟子となり「宗」の字を与えられた17名の一人で「宗三」と号するほどに直弼にも近い人物だった。幸は皇室に近い園城寺役人池田都維那の養女となり膳所藩重臣戸田五左衛門の五男を婿に迎えその夫は「川瀬太宰」と名乗ったのである。膳所藩は京都に近いこともあり尊王の志を持った藩士も多く、幸の養家の縁からも川瀬邸には全国から志士が集まったとされている。『尾花川』はそんな時期の幸の変化とその事情を知って行動を決意する太宰を描いた一夜の物語となっている。
 歴史を見れば『尾花川』で描かれた物語の直後、太宰は雲母坂で新選組に捕縛される。そして川瀬邸に乗り込んだ新選組の佐野七五三之助らは幸も連行しようとするが、幸は着替えを要求して奥に入り、同志の不利となる証拠を処分した後に自らの喉を突く、しかしその場では絶命できず連行され食事を絶って亡くなった。新選組の中でも尊攘派として知られる七五三之助の心中はどんなものだっただろうか?
 そして太宰は獄に繋がれた後に処刑されている。太宰が捕縛された頃、膳所藩は将軍徳川家茂上洛に向けて宿泊地としての準備が始まっていたが、宿泊が中止になった(膳所城事件)。藩はこれを機に急進派尊王攘夷藩士の粛清を断行する。近江幕末史に残る悲劇膳所藩十一烈士事件である。捕縛された藩士たちは獄内で筆すら与えられず、紙を千切って紙縒り、米粒で張り付けて残した手紙などが現在でも十一烈士の遺品として残っている。そして身分の高い四名は切腹、他の七名は斬首という極刑によって事件は終息したのだ。
 『尾花川』を読み終えても、太宰の決意が夫婦の永遠の別れであり、川瀬夫婦のみならず11名の膳所藩士とその関係者に悲劇を及ぼす別れであるとは読み取れない。後日談の悲劇を知った後でもう一度読むと、余りにも普通の夫婦の会話に心塞がれる想いにもなる。
 彦根藩も膳所藩も皇室に近く京都警護の任を担っていた。その影響で藩内には勤皇の志が強く平時であれば大きな問題にもならなかったであろう。幸もあと半世紀早く生まれて居れば、小説の主人公になるような悲劇もなく穏やかに人生を全うできたと考えられるのだ。

古楽

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