山内さんの  愛おしいもの・コト・昔語り 3

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2018年5月17日更新

高時川沿いには水利に関係する石碑がいくつもある。遡ろうとしなければ辿り着くことができない遺産だ。

 ご縁があって、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(90)和子さん(90)ご夫妻にお会いしてお話を聞き、色々教わっている。ふと耳にする山内さんのお話が面白い。「愛おしいもの・コト・昔語り」は、私が聞いた中でもこれはと思った、或いは伝えておきたい山内さんの記憶である。

 今回は「井(ゆ)」。
 何かの話の中で、喜平さんが「古橋には〝ゆぐみ〟というのがあって」と言われた。井戸の「井」に、「組」と書く。
 古橋は、集落の中をやがて高時川と合流する大谷川が流れている。喜平さんによると、高時川に2つ、大谷川に14の井堰があり、同じ井堰からの水を田畑や生活用水に使う家々が「井組」呼ばれ、井堰や水路の保全などを行ったのだそうだ。喜平さんちの「新土井」組は10軒からなる。
 明治8年に土地台帳ができたとき、屋敷、田、畑、山林、雑地が区分され、屋敷の条件には井堰からの水が利用できることと決められていた。蛇口をひねれば水が出る現代と違い、水がいかに貴重だったかがしのばれる。
 「生活に欠かせない水は、一人ではどうしようもないけれど、集団になると水を管理できるようになり、そうすると生活が向上し、人が集まり社会ができます。水と人の暮らしは密接な関係があったということです」。喜平さんは本当にいつでも納得のいく話をして下さる。
 更に、「昭和23年まで、高時川では井堰を作る『井立て』が行われていました。昔は15歳になると一人前と認められ、私も15の時から参加しました。5月と言っても水は冷たく、人力で4メートル近い丸太を組んで作ります。大変な作業でした」。喜平さんの昔語りが始まる。
 井堰は大水が出ると流され再建が必要になる。枝付きの丸太を上流から流し、〝井柴〟とよぶ細い木や筵(むしろ)などを使い、昔からの技術で作ったそうで、「現代では公共事業と呼ばれるようなことも、井組で力を合わせてやっていたんですよ。すごい技術や知識を持っていなくても、どうするかを必死で考えるとなんでもできた、昔の人はみなそうやって暮らしていたと思います」。

 もう一つ、高時川には古橋よりも下流の人たちのための井堰・〝餅の井〟もあった。渇水になるとこの井堰を落とす〝餅の井落とし〟が行われていたそうだ。調べてみると、戦国時代に始まり昭和15年まで400年間も続いた慣習で、〝血を流さずして水争いを乗り切るために極限まで練り上げられた農民の知恵〟と紹介されていて、興味深い。
 喜平さんは実際にその様子を見たと言う。「井堰を守る方は下帯いっちょ、落とす方の役員は紋付に陣笠をかぶっていました。私には白い帽子にサーベルをさげた警官の姿が印象に残っています」。
 河川改修で井堰がなくなったり統合されたりしたが、古橋には現在も6つの井組が残っている。新土井組もその一つで、年に一度の〝泥あげ〟が必要でも、集落内を水が流れる暮らしを気に入っておられるようだ。

編集部

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