半月舎だより 15

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2018年2月16日更新

いただきもの日記

 昨年、一箱古本市の出店で三度もご一緒したYさんが、店まで来てくれた。
 いろいろお話をしているうちに、古本屋だけで生きていけるのか、という話になった。この手の話は、よく話題に上る。古本屋どうしでも、よく上る。みなさん不思議に思うところなんだろう。古本屋どうしでも不思議に思うぐらいなのだ。
 結論から言うと、古本屋だけで生活しているひともいるし、副業と合わせて生計を立てているひともいる(古本屋が副業か、本業かはさておき)。半月舎の場合は後者だ。定期的にもらうデスクワークや、こまごまと受ける頼まれごともあるし、ときにはアルバイトらしきこともする。
 山陰のほうにあるYさんの地元は有名な都市だが、「彦根のほうが活気があります」といい、しかしそこにも古本屋が一軒あるという。とてもこんなところでは古本屋は成り立たないだろうと思ったYさんがどうやって暮らしているのかと尋ねたら、「もらいものですよ。ほんとみなさんのおかげで」と言われてびっくりしたのだという。近所のひとやお客さんが野菜などをくれて、生き延びているというその店の店主は、その日のいただきものを毎日日記につけているらしい。
 のどかでいい話だなあ、と感じ入った次第だが、よく考えたら、店に座っているとよくいただきものをする。そもそも半月舎にあるものといえばいただきものばかりなのだ。
 首がぐらぐらするタイプの小さなこけしばかりをくださったひともいれば、わたしが長野県出身と知って、長野県が舞台になった映画に出てくる犬の文鎮をくれたひともいる。「古本屋だから。火事が起きたら使えるやろ」とパンダのかたちの小さな消火器をくれたひと、「あなたの店に似合いそうだから」と人形をくれたひと、「本立てが付いていたから、あんたの店を思い出して」と、ブックエンド付きの地球儀をくれたひと…思い出したらきりがないほどだ。店の本棚などの什器も、不要になったものを引き取らせてもらってきて、大部分が構成されている。
 おもしろいのは、いただくときに「あなたの店に似合いそうだから」とよく言われることだ。本の他は偶然のもらいものばかりだというのに、なぜかそう言われることがおかしい。けれどもこれは、本が呼び起こす懐かしさのためなのかもしれない。
 わたしも、「いただきもの日記」をつけはじめた。日記は続かないタイプだが、この日記はかれこれ三ヶ月ほどつけている。もらったものはなんでも、たとえドングリでもうれしく記録している。日記に記すと、いただいたよろこびが増すような気がする。

M

編集部

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