湖東・湖北 ふることふみ 40
井伊家千年の歴史(23)

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2017年12月25日更新

直虎終焉の地・松岳院跡

 『おんな城主 直虎』の放送も無事に終了した。一旦区切りとなるので今稿では放送前に大きな問題も提示されていた件について私説を書いてみたい。
 井伊直虎は男性である。そんな説がまことしやかに発表されたが現在はほぼ否定されていると考えても差し支えない。一番の理由は男性説の証拠となる史料が1年を過ぎても公にされていないためである。関係者しか観ることができない史料が議論の対象になることはないので実質的には男性説を大きく支持できる証拠がないことになる。それだけではこの話が終わってしまうのでもう少し広げるならば、話が二転三転では済まないくらいに変わった結果この説では「次郎法師」という女性の存在は認め、「井伊次郎直虎」とは別人という話で落ち着いた、次郎法師が井伊家の女性とする根拠がないというものだった。しかし龍潭寺の世継観音の厨子から「井伊次郎法師」が天正3年に世継観音を大藤寺の本尊にしたとの記録があり次郎法師が井伊家の人間であることが判明する。
 これだけでも女性説の後押しにはなるが、基本的に男性説は「上杉謙信女性説」や「源義経が成吉思汗だった説」と同じようにまずは定説がありそれを面白おかしく否定したものを組立てたものだと考えられる。特に一家の当主が男性であることが当り前の時代にわざわざ男性であることを匂わすような記録が書かれた背景としては女性であったことが常識であったと証明するものなのだ。
 また私説として私は井伊直政が17代当主として伝えられていた歴史を重視している。井伊家が誕生して600年が過ぎようとする頃に直政は当主となるが、単純に計算すると1代25年と考えられているので直政は24代辺りが妥当であり江戸後期に彦根藩は直政を24代にしている。しかし江戸初期は17代として数えられていた、これはすべての当主が35歳を超えてから後継ぎが誕生という無理が生じる。そこまでして17代にしたかった理由として神道で17が奇跡の数字とされておりなおかつ聖徳太子の憲法17条以来日本人はあえて17の倍数を使った形跡もあるところに注目している。細かい話は私にチャンスがあれば伝えて行きたいが井伊家は直政を17代当主にするために年齢的にあり得ない直宗を14代当主に数えている。もし直虎が男性ならば16代当主を直虎にして直宗を入れなければいいだけの話となる。17代重要説は私説だが東北の伊達家も伊達政宗を17代当主にしている。
 さて、井伊直虎が主人公と決まって以来約2年に渡って紹介してきた井伊家の歴史も今稿で一旦終りとなる(次稿で直政公には触れますが…)お付き合いいただき感謝いたします。ただし『井伊家千年紀』に記した事も含め新たな発見による改稿や紹介したいことはまだまだ残っているので、今後の連載の中でも書いていきたいと考えています。

 

古楽

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