城下町の稲荷神社 2

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2017年11月14日更新

瘡守稲荷神社(彦根市馬場1丁目)

 唐突だが、今、僕は稲荷神社が面白い(のではないか)と思っている!! 稲荷神社は「商売繁盛の神様」のイメージが強いが、彦根城下の稲荷はどうも違っているぞ……、という話である。
 前回、「彦根の瘡守稲荷(かさもりいなり)は、井伊直政が上野国箕輪に居た頃、常陸の国の笠間稲荷社(茨城県笠間市)を勧請したもので、関ヶ原の合戦後、佐和山に移ったときに、城の鎮守稲荷として祀ったと伝わっている。彦根城内にあったため、庶民は参詣できなかったという」と書いた。
 瘡守稲荷について『近江の伝説』(日本の伝説19)〈駒 敏郎・ 中川正文 (著)/ 角川書店 / 1977年〉にこんな記述があった。
 「この社は、初代直政が上州箕輪から彦根へ転封された時に、常陸の笠間稲荷を勧請したもので、はじめは金亀山へ祀られたが、のち城が築かれたのでその内へ囲い込まれて、人びとが参詣できなくなった。京橋口から遥拝している人びとを見て、11代直中が現在の場所へ移させたのだという。
 笠間稲荷がいつか瘡守稲荷になって、もっぱら梅瘡・皮膚病の治癒に祈れば霊験があると信じられて来た。むかしはまわりに竹藪や林があって、人びとの病毒を代わりに引き受けた老狐が棲んでいたそうで、油揚げや土団子を供えて祈る人が絶えなかったという」。
 「瘡」という漢字は「かさ・くさ・そう」という読み方があり、皮膚にできるできもの・はれもの・きりきず・刀きずなどのことを意味し、「梅毒」の俗称でもあった。
 笠間稲荷社は現在では日本三大稲荷のひとつに数えられている。「笠間」→「瘡守」と音から名前が変わったことは想像がつくが、皮膚病の治癒に御利益があると信じられたのは何故だろう……。井伊直政が関ヶ原で受けた鉄砲傷に関係するのかもしれない。

小太郎

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