半月舎だより 7

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2017年4月10日更新

古本屋の春

 古本屋のしごとのなかで一番すきなのは本の引き取りだ。売るよりも買う方がすきなのだから、このしごとはしみじみ業が深い。しかし売らねば、ただでさえあやしい生計がますますあやうくなるのだから、引き取った本は、ときに泣く泣く店の本棚に並べる。一時に読める本は一冊きり、自宅の本棚に並んでいてもおそらくほとんど読むことはないのだから、と自分を励まして、手放したくない本も並べる。そんな気持ちはお客さんに伝わるのか、不思議とそういう本から売れていく。
 ありがたいことに、先の年の暮れから、たくさんの本を引き取らせてもらっている。年末の大掃除にはじまり、新年度に向けて本を整理するひとが多いのだろうか。老若男女の区別なく、たくさんのお客さんからかつてない頻度で引き取りの連絡をいただき、次から次へと引き取って、値つけして、を繰り返している。遅くなってもいい、と言ってくださった方に至っては、しばらくお待たせしてしまっているほどだ。
 私が店を始めたとき、彦根にはまちの古本屋がなかった。誰かが本を手放すとき、その行き場のひとつになればいいと思ったことが店を始めた動機のひとつだが、それが現実となりつつあり、うれしい。また、本屋で働いた経験もなく、どういうジャンルにどんな本があるのか、どんな作者がいるのか、そういう基本的な知識に欠ける私にとって、本好きなお客さんが売ってくださる本の塊ほど勉強になるものはない。しかし引き取らせてもらう蔵書の塊が充実したものであればあるほど、「こんなに情熱を傾けてもとめた本を、手放されるのだなあ」と一抹の感傷もうまれる。
 そんなときに思い出すのが、何年か前、二つ年上の兄の本を引き取ったときのことだ。兄が大学進学で実家を出るまで、私たちは、限られた小遣いで買う本を互いに貸し借りして成長した。兄はものを大切にするひとで、私の本の扱いが汚いとひどく怒って、よくけんかをした。そんな兄が結婚を機に大量の本をくれた。好きだった作家の小説、好きだったミュージシャンの記事が載っている雑誌や本、全巻揃った漫画。背表紙を見ているだけで、彼の青春の日々が伝わってくるような、甘酸っぱい気持ちになる本の群れだった。中にはあの頃貸し借りした本もあった。執着したもの、好きだったものと潔く訣別して、兄がひと足先に大人になっていくのを感じた。そして私も、それらの本を潔く店の棚に並べた。
 春は別れの季節、などと感傷に浸ることは今まであまりなかったのだが、なぜか今年は「別れ」を実感している。あまりにたくさんの本と持ち主との別れを目の当たりにしているからだろうか。「もう読まないんで」「買ったけど読んでないんで」「置いとけないんで」と、こだわりのない様子で持ってきてくださる方も多いので、勝手にこちらが感傷的になっているだけとも言える。
 先日、ここ二年ほどよく通ってくれた高校生が、いつものように制服姿で来店した。文学を中心に、時間をかけてじっくりと本棚を見て、最後に一冊か二冊文庫本を買っていくのを常としていた彼が、その日は両手にいっぱいの本を帳場に持ってきてくれた。もう高校は卒業だそうで、大学受験の結果を待つのみだと言い、合否がどちらでも滋賀を出るので店に来るのは最後になりそうだと言いながら、いつも小銭しか出てこない財布から五千円札を出して支払いをしてくれた。卒業祝いに、50円の本を二冊サービスすると、「やった」と言ってうれしそうだった。彼もいつかこの店に本を売りに来るだろうか。あんなにたくさんの本を処分した兄の自宅の本棚にも、また新しい本が次々と増えていることを私は知っている。古本屋が、本との出会いと別れを淡々と繰り返す場所だということにようやく気付いた、春である。

M

編集部

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