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半月舎だより 6

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2017年3月10日更新

雪国をのがれて古本の旅

 1月、彦根の冬の厳しさに辟易し、古本で行商しながら温暖な地方へと逃れる空想をしていた。そんな冗談半分の思いつきをツイッターに書きとめたら、ふたりのひとから応答があった。ひとりはわたしと同じく今年の厳しい冬に疲れた同業のNさんで、なんと同行を希望するという。もうひとりは2度ほどお会いしたことのあった大阪のLVDB BOOKSのKさんというこれも古本屋で、なんと「うちの店に行商しに来ていいですよ」という。にわかに行商の話が輪郭をもちはじめ、あれよあれよと旅程が決まった。
 しかし大阪以外の行商先は簡単には見つからなかった。大阪でも、その日限りの行商ではもったいないので2週間ほど預かりましょうというKさんの厚意で、選抜した本たちを事前にLVDB BOOKSへ宅急便で送った。
 結局行商をするかたちではなくなったが、大阪、倉敷、尾道、広島をめぐる4日間の旅に出た。どこのまちでも古本屋をめざし、車で来たことを幸いに、本ばかり買っていた。古本屋のふたりが古本屋に行くので、古本屋で古本屋の店主が3人集まることになり、しばしば古本屋を営むことについての話題に花が咲いた。倉敷も尾道も天気がよく、暖かかった。日なたの山には、早くも春の訪れを感じた。

広島にて

 温暖な地域へ行くこと、古本屋に行くこと以外に、あわよくば叶えたいと当初から思っていた旅の目的がもうひとつあった。広島平和記念資料館へ行くことだった。機会を得ず訪れたことがなかったのだが、長く行きたい場所のひとつだった。終戦前後の広島・呉をいち庶民の暮らしの目線から描き、アニメーション映画化され注目を集めているマンガ「この世界の片隅に」(こうの史代 著・双葉社)にまつわる講座を1月に半月舎で開いたのだが、その企画を考えた頃から、広島へ行って平和記念資料館へ行こうと思うようになっていた。
 旅の3日目、この日はNさんと別行動し、ひとりで尾道から電車に乗り、広島へ向かった。前日の夜、尾道で深夜23時から27時まで営業する「弐拾dB」という古本屋で買った「尾道少年物語」(熊谷独 著)という本を読みながら行った。昭和11年生まれの著書が、故郷尾道を舞台に少年少女にとっての戦時を描いた小説だ。
 広島駅から路面電車に乗り、「中電前」で下車し、元安川という大きな川に架かった「平和大橋」を渡り、平和記念資料館に向かった。広場の向こうに原爆ドームが見え、資料館を見終わったらそちらの方へ行ってみようと思った。
 資料館の展示では、広島中心部の地図、航空写真、ジオラマを何度も繰り返し見ることになる。そうしているうちに、自然とまちの地形や位置関係が、当時の被害の状況と連動してわかるようになってくる。わたしが訪れた際には改修工事がなされていた東館が開いていたら、原爆が投下される以前の風景まで、もっとはっきり知ることができたはずだ。
資料館を出たとき、数時間前に電車を下りた時とははっきり景色が違って見えた。わたしが立っていた平和記念公園には以前は街があったはずだし、原爆投下によって一瞬にして灰燼に帰したはずだった。わたしが渡った元安川は人びとが水を求めて飛び込んだ川だった。そして資料館から原爆ドームへ向かって歩いていくということは、爆心地の方向へ向かって歩くということだ。資料館を出た後は、それがはっきりとわかる。そのなまなましさに、わたしは足を止めた。近くでは原爆ドームを背景に修学旅行の集合写真を撮るカメラマンが「ポーズはなし!」と指示を出し、学生たちの明るくざわつく声が聞こえた。のどかだった。
 その後、老舗古書店「アカデミイ書店」の支店と本店をはしごした。アカデミイ書店には、五箇荘出身の歌人・塚本邦雄が呉にいた頃に通っていたらしいと聞く。塚本邦雄も、原爆投下の日、呉の地から大きなきのこ雲を見たひとりだ。
 さて後日、LVDB BOOKSのKさんが、2週間預かってくださった本を携え、わざわざ彦根まで来てくださった。あいにく冷たい風に雪が混ざっているような天気の日だったが、Kさん夫妻は「雪だ。きれい」と嬉しそうだった。今年、雪があんなに降らなかったら、広島までたどり着かなかったかも、とその時思った。

M

編集部

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