野神祭

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2016年8月31日更新

「ねそ」で松明を作る

 湖北にはしめ縄が巻かれた立派な大木や石などを依り代にして、野神さんを祀るところが多い。田畑の神、農作物の神を「野神」と呼ぶ言葉も響きも好ましいと思っていたら、木之本町古橋で「野神祭の準備に松明を作る」と聞き、野神祭とは一体何をするのかと見たくなった。「松明は、山へ行き、ねそをとってきて作る。ねそというのはマンサクのことで…」と古橋の人が話してくれるが、聞いたことのない”ねそ“に思考が止まってしまった。そんな様子を察してか「13日の午後に與志漏(よしろ)神社の境内で作るさかい、見に来たら」と話が決まった。
 古橋は約120戸の集落。集落を六つの組に分け、1月のおこないや野神祭を年ごとに順番に組単位で行っている。13日、神社の境内では男性ばかり13人ほどが集まり松明作りを行っていた。”ねそ“と呼ぶのは植物のマンサクで、「山でねじって、ねじって、ねじって採ってきた。ねじると柔らかくなってロープ代わりに使える」と教わる。直径5センチ程の木の幹がロープ代わりである、びっくりだ。「もっとねじらなあかんやろ」とか「木づちでたたけ」とか「たたいても、表面の皮は残すんやで」など次々に声がかかり、松明の心棒となると丸太に麻木を巻き、7本の木を添えて”ねそ“で締め上げていく。「昔は山で薪や柴を集めたやろ、ロープなんてなかったからねそを使ったんよ」とまた教わる。その知恵が今も活かされている訳だ。できあがった松明は虫の姿を表していると言い、7本の足なのか触角なのかが伸びている。古橋区事務所前の広場にある火の見やぐらに立てかけられ、野神祭当日を待つことになる。

 野神祭は18日の午後1時半から。とてつもない暑い日だったが、時間になると組の人たち、今度は老若男女が集まってきた。2本の御幣を先頭に、太鼓や鉦で囃しながら松明を担いで集落内の野神さんに向かう。かけ声は「でこん、でこん、おんさーほーい」。古橋の野神さんは「野大神」と彫られた石が依り代だ。お神酒などを備えた後、また集落内を歩く。勾配のきつい細い坂道を上り、下った林道の中で、松明を二つに切り分け、一方に火をつけた。その後、残った松明を担ぎ、集落を1周するように練り歩き野神祭は終了した。
 「昔は六つの組が競うように松明を作り、皆で練り歩いた」とか「40年ほど前には一度、野神踊りを復活させたことがある」、などと皆さんが教えて下さる。集落中で行った野神祭はきっとにぎやかなことだったろう。虫に見立てた松明を燃やすのは、稲の収穫を前に害虫を退治する「虫送り」にあたり、「松明はみせしめやな」と古橋の人。
 真夏の強い日差しの中、緑が濃い木立の中、真っ白な御幣が先導する行列を、きっと野神さんはどこかで見ているのだろうという気がした。
 與志漏神社の年中祭祀として、9月1日は八朔、7日は水害記念日、15日は「灯明(献灯祭)」が行われる。

ひづきめい

編集部

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