謎の角度3 存在しない場所

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2016年5月2日更新

古絵葉書「近江彦根城」部分(sugihara collection)

 日本を訪れ彦根城のスケッチを残したイギリス人水彩画家アルフレッド・パーソンズ(Alfred Parsons 1847〜1920)から始まった「存在しない場所」探しだった。「近江 彦根城」という古絵葉書は、その場所が確かに存在することを物語っているが、未だに僕はそこに立ったことがない。
 仕方が無いので、航空写真をダウンロードし、直線を引きおおよその場所を見当づけることにした。結論は、鐘の丸である。
 次に、彦根城の第一郭を描いた彦根城博物館蔵の「御城内御絵図」で、鐘の丸がどうなっていたかを調べた。「御多聞櫓」と記された建物があることが判った。他に御主殿や二階御櫓と記された構造物がある。構造物は石垣の上に建っているように描かれているから、それなりの高さがあったと予想することもできる。
 航空写真と「御城内御絵図」で想定できる場所は「御多聞櫓」だ。問題は、古絵葉書のように天秤櫓の石垣が写るほど高さを確保できるかどうか、また、「御多聞櫓」がいつまで存在していたかである。
 廃城令は明治6年(1873)に出され、近世城郭は破壊・売却されていく。彦根城も例外ではなかったが、明治11年(1878)、明治天皇が巡幸で彦根を通過した際に城の保存を命じた。果たして鐘の丸の櫓は残っていたのだろうか。アルフレッド・パーソンズが、日本の風景を描いたのは、明治25年(1892)のことだ。おそらく、既に多くの建物は壊され現在の彦根城に近いものだったのではないか……。
 新緑の季節である。今、鐘の丸は柔らかな緑に覆われ、櫓や天守を見通すことができない。「謎の角度4」は冬枯れの季節となる。それまでに、この謎の角度が謎でなくなればいいのだが。

 

小太郎

DADA Journal 内の関連記事
スポンサーリンク
関連キーワード