「ん」の考察

彦根神社

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 2015年12月7日更新

 11月のはじめ大きな「ん」と、小さな「ん」を見つけた…。彦根神社の境内の拝殿に向かって左側、狛犬でいうと、口を閉じた「吽」の側である。何故、「ん」なのか…。
 「彦根」というブランドを冠にする神社の「ん」が、今まで話題にならないことも不思議だが、この「ん」、今のところ僕の人生最大の謎であり、また、日本あるいは世界最大の謎であるような気がして、毎日、ドキドキしている。謎が解けてしまうまでのお楽しみだ。
 さて、謎は2つ。ひとつは「ん」は何を意味する記号なのか?ふたつ目は大きな「ん」と小さな「ん」が書かれているのは何故か? ふたつ目に関しては、ひとつ目の謎が解ければ自動的に明らかになるように思うので「ん」の意味から考えていくことにする。
 まず、文字からのアプローチを試みた。思い浮かんだのが寺社と関係の深い生と死、始まりと終わりを意味する「阿吽」の「吽」である。狛犬を奉納するには資金不足だったので「ん」と刻印した。つまり「ん」は獅子である。ならば、小さな「ん」も、こどもの獅子であると考えることができる。石碑を見ていると「吽」の形相の獅子の足元で鞠と遊ぶ小さな獅子のイメージが浮かんでくる。
 では、「あ」があるはずだと神社を探してみたが、それらしきものは無い。資金ができたら、「あ」を奉納する計画なのだろうか……。
 しかし、この考えは直ぐに間違った仮説だと気づいた。「吽」ならば「うん」と表記されるはずである。資金不足で一文字にしたのでは ないかとも思ったが、二文字彫る余裕はあったのだから理由にはならない。
 「ん」は「運」か……。これも「吽」と同じ理由から間違いである。
 神仏混合の時代があった故、ひょっとすると「梵字」かもしれないと思い、調べてみたが「ん」に似た梵字は存在しなかった。
 日本の平仮名は漢字が元になって生まれた文字だ。「ん」の元になった漢字を調べてみると「无」であることが判った。「无」は「無」と同義であり、中国語では「無」の簡体字が「无」である。「ん」は「無」である……。しかし、こんなことを知る人はほとんど「ん」であり、まず「无」である可能性は「ん」ということになる。
 次に順番・記号としての「ん」からアプローチしてみることにした。
 「ん」は、「いろはにほへと」では48番目。「いろは」を47とし「ん」は番外という可考え方もある。実は「あいうえお」でも、ヤ行・ワ行のダブっている文字を抜くと「ん」は 番目となる。彦根神社は何らかの理由で「  番」という順番を持っているのではないか。
 何を意味する順番なのか…。この推測は無限にあり仮説を考えるのは実に楽しい作業だった。例えば札所を巡る巡礼と同じく、神仏混合の時代、彦根藩内には「いろは巡り」があった。「あいうえお」も「いろは」と同じくらい古くからあるので「あいうえお巡り」としてもそれはおかしくはない。
 また、彦根藩は城下の寺社を「いろは」で分類し、彦根神社は「ん」という分類記号が割り当てられたとも考えられる。
 いずれにせよ、順番・記号としての「ん」は仮説であるからこれから検証する必要があるのだが、これも望みは薄い。次の理由による。
 江戸時代、区分けした町火消しの組織名に「いろは」が用いられていたことを知る人は多いだろう。この中に「ん」はそもそも順番には含まれず、「ん組」は存在しない。「ん」の石碑が江戸時代、もしくはそれ以前から存在するものだとすると、順番・分類としての「ん」だとは考えにくい。もしも近世以降の建立ならば、順番・分類だと考えられる可能性はある。
 次に考えたのが「ん」に込められた意味からのアプローチである。「ん」は「いろは」「あいうえお」の最後の文字である。
 アルファベットの「ABC」は「初歩・基礎」という意味に用いられることがある。それは「いろは」も同じだ。有名なカクテルに「XYZ(エクス・ワイ・ジィ、エックス・ワイ・ゼット)」がある。ラムベースカクテルで、ホワイトラム 、ホワイトキュラソー、レモンジュースをシェイクしてカクテルグラスに注ぐシンプルなショートカクテルだ。余談だが、ラムをジンに替えるとホワイトレディ、ウォッカに替えるとバラライカ、テキーラにしスノースタイルにするとマルガリータ、ブランデーに替えるとサイドカーという名のカクテルになる。
 このカクテル「XYZ」の名の由来は、アルファベットの終わり、最後のカクテル、「これ以上のものはない、最高のカクテル」という意味がある。
 また、新約聖書の「ヨハネの黙示録」において、主の言葉「私はアルファであり、オメガである」とあり、「最初であり、最後である」と記している。
 ならば……、彦根神社の神は、「これ以上の神はいない、最高の神である」という意味を込めた尊敬と畏怖「ん」なのではないだろうか。
 となると、大きな「ん」と小さな「ん」は何か。大きな最高の神と小さな最高の神を示していることになる。
 彦根神社の祭神はというと「活津彦根命(イクツヒコネノミコト)」。日本神話の神で、『古事記』では「活津日子命」、『日本書紀』では「活津彦根命」と記される。彦根神社に行くと判るのだが、拝殿の後に本殿が二社ある。
 向って左の社が活津彦根命、右の社が素盞鳴命である。活津彦根命は天照大神の五男三女の男神のひとりである。素盞鳴命は天照大神の弟だ。どちらが大きい「ん」なのかは判じ難いが、彦根神社には二神がおられ、尊敬と畏怖を込めた石碑である可能性はある。ただ、「ん」の大小のバランスが悪く、二神を表したものだとするとデザイン的に破綻しているので、この仮説の立証にももう少し調査が必要だ。
 最後に神社の歴史からのアプローチを試みる。
 まず、滋賀県神社庁のホームページから彦根神社の由緒を記す。「明細書によると、創祀年代、由緒等不詳であるが、社伝には昔大洪水があり、多賀久徳の地より御神体が流れついたのでこれを祀り、川流れの明神又は田苗、田中の明神と呼び、土地の鎮守の神として今日に至ると伝えられる。享保十九年京都吉田家より正一位の神階を授かり、社号を彦根神社と改める。彦根藩主井伊家の崇敬篤く、社紋も井桁、橋と井伊家の家紋と同じくする。享保年間、文政年間社殿の造営をなされし、棟札今に存す。明治九年村社となり、大正十年四月神饌幣帛料供進指定となる。なお、延喜式神名帳の坂田郡岡神社の論社でもある」。
 「論社」というのは、似たような名の神社が2つ以上あって、どれが『延喜式』に記されている神社か決定し難いものをいう。「神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)」は、明治から第二次世界大戦終結まで勅令に基づき県令をもって県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社のこと。享保十九年は1719年である。ポイントは4つ。

  • 1719年から彦根神社という名になった。
  • 1719年以降に社殿の造営が成された。
  • 1719年以前は、田苗、田中であり、御神体は大洪水で多賀久徳から流れ着いた。
  • 現米原市にある延喜式内神社の岡神社と関係がある。彦根神社には境内社として「岡神社」がある。

 謎が謎を呼ぶとはまさしくこのことである。謎を解くための謎を解かなくてはならない。 まず、「御神体は大洪水で多賀久徳から」か、「岡神社」からか…。挑むに値する謎だと思っている。沈思熟考秋深く、「ん」の謎を愉しんでみたい。誰かが先に謎を解くかではなく、仮説を思いつき、調べている間に出会う様々な物事に「ん」の感謝をしたいのである。

編集部

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