ダークツーリズムと近代化遺産を巡る旅

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 東近江市 2015年9月30日更新

 近頃、「ダークツーリズム」という言葉をよく聞くようになった。スターウォーズに侵され育ったせいか、暗黒面に墜ちるツアーなのかと一瞬、戸惑ったが、戦争や災害などで残された「負の遺産」を旅し、悲しみの記憶を共有する観光のスタイルなのだそうだ。なるほど……。
 僕らは、DADAジャーナルで「近代化遺産を巡る旅」の記事を書いてきた。近代とは幕末から第二次世界大戦終結までをいう。近代化遺産のなかには第二次世界大戦に関するものも多い。
 例えば、陸軍八日市飛行場。その一施設として造られた掩体壕(えんたいごう)はよく知られている。掩体壕は、装備や物資、人員などを敵の攻撃から守るための施設である。八日市飛行場の掩体壕は軍用機の避難壕だ。また、米原・岩脇山(いおぎやま)の「蒸気機関車避難壕」も掩体壕だろう。或いは、彦根の「近江航空踏切」「近江帆布踏切」などもある。案外、湖東・湖北でプチ・ダークツーリズムが成立するかもしれない。
 9月23日シルバーウィーク最終日、念願だった八日市飛行場の掩体壕を見に行った。少し迷ったが、東近江宮溜調整池(東近江市柴原南町)付近の山裾に取り付く細い道を走っていたら、突然、掩体壕を説明した看板が目に入った。こんなことが書かれていた。

 「この掩体壕は、大戦中の昭和19年(1944年)米軍による日本本土空襲が激しくなることが必至と見られるにいたり、軍部では飛行機を空襲から守るために、各航空基地の周辺に急いで作られたものです。この掩体壕は小型機用のもので、八日市市には現在この他にもう1個所残っており、八日市飛行場の語り部として貴重な存在です。
 注釈
 掩体壕は至近弾の破片は防ぎましたが、爆弾の直撃には耐えられませんでした。一方、上空から隠蔽(隠す)する目的もあったので壕の上部は土で覆い、草木が植えられてありました。応急の道路が作られましたが、地盤が軟弱な個所ではタイヤがめり込んで大変でした。それで軟弱な所へは栗石を大量に投入したり丸太を敷き詰めて急場を凌ぎました。また警戒警報が発令されると、総出で飛行機を掩体壕まで押していき、警報が解除されると再び飛行機を飛行場へ戻す作業が毎日繰り返されたのでした。現在、大阪の八尾飛行場の付近にもこれとほぼ同規格の掩体壕が残されています。」

 近代を知る手掛かりとして、失われたものを発見する喜びみたいなものが「近代化遺産を巡る旅」にはある。
 僕は、今はもう廃線となっている近江鉄道八日市線の旅を考えている。昔、「飛行場駅」と記された切符を見たことがあり、それ以来、何処に駅があったのか知りたいと思っていた。
 何でもそうだが、ダークツーリズムも「近代化遺産を巡る旅」も、興味と事前の多くの知識が必要だ。勿論、悲しみの記憶を忘れるものではない。戦痕を辿る「近代化遺産を巡る旅」はダークツーリズムと共通する部分もあるが、全く異なるものだ。そして、世の中で人気のダークツーリズムは、僕自身どうも好きになれない予感がある。
 ところで、翌日の読売新聞に『陸軍八日市飛行場 戦後70年の証言』(中島伸男著・サンライズ出版)の記事が掲載されていた。本を読んでからでかければ良かったと後悔している。

風伯

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